正しい日本の戦い方 | (株)恋空Renkuu

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■「見敵必戦(けんてき ひっせん)」
日本海軍は多くの名将を輩出したが、大東亜戦争末期には第一航空艦隊司令長官を務めた角田覚治中将も、 米海軍きっての猛将ハルゼーと共に「見敵必戦」を地でいく闘将であった。角田は空母「隼鷹」では未だ飛行隊の行動範囲外であるにも関わらず出撃命令を下し、 同時に「本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という壮烈な命令で、隼鷹を敵機動部隊に向け最大戦速で突進させた。 「見敵必戦」いかなる相手、状況にも逃げることなく死力を尽くすという覚悟は、現代に生きる全ての人間が見習うべき事であろう。

■「捨身必殺(しゃしん ひっさつ)」
祖国の栄光と繁栄を信じ、遠く水平線彼方の異国で翼折れ、弾丸尽きるまで戦った帝国陸軍航空隊烈士。彼らの殆どは、まだ妻もめとらない二十代の若者であった。 ビルマの空を駆け巡った飛行第64戦隊(通称:加藤隼戦闘隊)もその勇猛さで知られ、部隊一の部下思いで慕われた中隊長、中村三郎大尉は米軍の爆撃機と刺し違えて24歳で戦死した。 敵機からの凄まじい曳光弾の束の中を、恐怖をかなぐり捨てて突撃する中村大尉が信条としていた「捨身必殺」は、自らの人生と引きかえに何かを成し遂げたいとする人間に合通ずる言葉である。


■「必中轟沈(ひっちゅう ごうちん)」
敵艦からの凄まじい対空砲火の雨のなか、猛然と急降下して爆弾を叩き込む艦爆隊。至近距離からの攻撃にさらされるだけでなく、急上昇時の猛烈なGに耐え切れずに失神したまま海中に突っ込む艦爆もあった。その生還率のあまりの低さから、歴戦の戦闘機乗りからでさえ「棺桶(潜水艦)乗りと艦爆乗りにゃなりたくないよ」と謳われた。今度こそは還れぬかもしれぬと、覚悟を決めて出撃していた彼らがひたすら願ったのは「必中轟沈」。すべてを投げ打って取り組まなければ、一つの大事を成し遂げることはできないというのは人生の法則である。

■「七生報国(しちしょう ほうこく)」
湊川の戦いで圧倒的な敵軍に僅かな手勢で立ち向かい、義を貫き通して果てた楠木正成。自刃の覚悟を決めた時、「生まれ変わったら何になるか?」と正成に訊かれた弟、 正季は「できるならば七度(たび)生まれ変わり、再び逆賊を討ちたい」と答えたという。欧米列強に怯むことなく立ち向かった先人たちの頭にあったのは、 家族が安らかに暮らす祖国の未来であったに違いない。軍人のみならず国民の心に息づいた「七生報国」は、今も我々に為すべき行動を問いかけてやまない。