みなさんこんにちは(^-^*)
先日最後のブログ
といいながら
また更新してすみません
どーも
初号機です☆
本当は卒業式の日に
UPしようと思っていたんですが
予定よりはやく
ブログを引退してしまったので
危うく書くのを
忘れるところでした
といっても
またしても初号機の個人的意見なので
消さなくちゃいけなくなるかもですが
内容は
『先生について』
です。
少し前に先生ネタを書いてたんですが…
その後のブログで書いたように
私としてはとてもいい思い出
として書いていました。
しかし、後輩から指摘を受けて
気付いたのですが…
どうやら後輩は一連のブログを読んで
私が先生に感謝もしていない上に
最後に先生への不満を吐き出して
失態をさらしたいのだと
とらえたようでした。
確かに愚痴メインでしたし
そうとられてもおかしくないブログを書いた
初号機に責任があるのですが…
ただ本当に初号機にとっては
めちゃめちゃいい思い出ですし
今先生と当時の事を笑って話せる
自信もあります。
しかし後輩がそう勘違いしている
ということは
他のみなさんも
勘違いしている可能性があるのではないかと
ふと思いました。
本当は一連のブログの後
最後卒業式の日に
『けれどそんな先生を尊敬しているし
とても感謝している』
という事を書くつもりでした。
こうなってしまった以上
初号機のただの言い訳にしか
聞こえないかもしれませんが
最後にどうしても
書いておきたかったので
書かせていただきました。
先生は確かに
時間にはルーズだし
方向音痴だし
ダメなとこだらけですが
私は本当に尊敬しています。
初号機は実は
院の試験を受けた時
別の研究室へ行く予定でした。
けれど行く予定の研究室の先生と
うまくいかなくなってしまい
いろいろと悩んだ結果
いそろく研でお世話になる事に
なったんです。
その悩んでいる時
先生は自分の研究室の学生でもないし
そういう学生の指導担当でもないのに
私の話を根気よく聞いてくれ
アドバイスをくれました。
そして最終的に
いそろく研に行くと決めた時
快く受け入れてくれました。
本当に今でも感謝しています。
けれど院に進んだはいいものの
それまでにいそろく研には
院生がいたことがなく
先生も私も探り探り
お互いにいろいろと話し合ったり
時に衝突したり。
22歳の歳だけとったガキだった初号機
けれど先生はそんな私に
大きな期待と信頼を
寄せていてくれていたり。
唯一心残りは
先生の期待に答えられなかったこと。
院生になりたての頃は
正直今までのあまりの環境の違いに
戸惑いました。
何をしたらいいか
わからなかったんです。
それで腐ってた時期もありました。
先生に『めんどくさいです』
って言ったり
『それ意味あるんですか?』
って言ったり
今思えばかなりひどいですよね( ̄▽ ̄;)
当時はかなりガキでした。
まぁ今でもガキなんですが
けど先生は絶対見捨てたりはしませんでした。
そりゃもちろん
先生も人間なので
かなり腹は立っていたと思いますが
そしてM2後期からの休学。
休学した理由は
家庭の事情でしたが
最初は私の体調不良でもありました。
化学科は良い結果がないと
論文なんて書けません。
私はその結果がほとんど
ありませんでした。
ましてや実験しないと
悪い結果すら出ません。
そんな中での体調不良で
結果はない、実験もできない
最悪でした。
それを知った先生は
私に
『現状としてこれ以上実験はさせられない』
といいました。
つまり休学or退学
正直腹が立ちました。
同級生と一緒に卒業したかったし
ましてや退学を勧めるなんて
と思ったからです。
けれど先生は譲りませんでした。
結局休学したわけですが
今思えば
あの時のあの先生の発言は
立場上かなりまずかったハズ。
出るとこに出れば
先生はかなりやばかったハズです。
けれどそれがわかっていながら
あえて止めてくれました。
もちろん先生だけでなく
両親や祖父母等の説得もあったわけですが…。
先生のダメなとこは
気持ちが教師よりも
学生寄りなところです。
だから時間にルーズだし
締切とかも曖昧なんだと思います
けれどそれが故に
化学の先生の中で
一番私達の気持ちを
くんでくれる先生でもあります。
確かにダメな部分で
何度か苦しめられたけど
先生が気持ちをくんでくれる事に
私は何度も救われました。
その後復学したはいいものの
良い結果が出ず
卒業延長になりました。
結果が出なかったのは
もう初号機のせいです。
だから退学するつもりでした。
けれど先生はもったいないからと
いろいろと考えてくれ
結局退学はしないことにしたものの
初号機の家庭の事情で
かなりわがままを言わせていただきました。
そのわがままをあげれば
キリが無いくらい
言い訳をさせてもらえば
わがままを言わなければ
初号機も学校生活を続けていける
状況ではなかったんです。
なので退学を考えていました。
けれどかなりなわがままだったにも関わらず
先生は受け入れてくれ
詳しい事は言えない初号機には
何も聞かず
なんとか修了させてくれようと
頑張ってくれました。
一番のわがままである
『学校に来れない日がある』
よく受け入れてくれたなと思います。
だって後輩達に
示しつかないですもんね
言い訳をさせていただければ
初号機は一応最低ラインの
2年分の日数は欠席無しで
学校には通っていました。
だから許してくれたのかも
知れませんが
2年分通ったなんて
正直なんの意味もない
本当にただの言い訳に
すぎないんですよね。
なのに後輩達も後輩達で
本当に気を使ってくれて…。
なんとか実験を続けていく事ができました。
だから本当に先生には感謝しています。
なんだかんだ先生とは
7年来の付き合いです。
その間先生とは
いろんな話をしました。
時間ルーズなとことか
方向音痴なとこは
尊敬出来ないけど(笑)
先生の考え方やスタンスは
本当に尊敬しているし
先生にいろんな事を相談し
いろんな意見を言ってもらえ
初号機はかなり成長できました。
M1の時なんか
先生に実験の話をしに行ったのに
結局話し込んで
3時間…(゜▽゜)
とかよくありましたしね(笑)
(実験の話は5分位で終了ww)
最後に散々
締め切りギリギリで勘弁してくれ!
とか言ってましたが
あれも本当は
先生がX線を諦めなかったから。
まぁ確かに締め切りギリギリは
きつかったけど
諦めずに頑張ってくれたのは
本当に嬉しかったです。
なんか長くなってしまいましたが
先生との思い出は
本当にたくさんあります
そして先生には
本当に本当に感謝しています。
私みたいな
わがままばかり言うし
先生には文句言うし
いろいろと問題を起こす
ろくでもない学生を
最後まで見捨てないでくれました。
先生には感謝してもしきれません。
初号機が無事に修了できたのも
先生のおかげです。
本当に
感謝の気持ち、思い出など
書き始めたらキリが無いし
ここには収まらないくらいです。
私が先生にできること…
微々たるものかも知れませんが
何かしらの形で
必ず恩返ししたいと思っています。
なんか長文すみません
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
書くか書かないか…
悩みましたが
前々から
最後には先生の事を書いて
ブログを締めくくり
卒業するつもりだったので
少し早いですが
書かせていただきました。
ではこれが本当に
最後のブログになります。
今まで読んでくださった方々
ありがとうございました

そして今後はNewいそろっ首を
どうぞよろしくお願いいたします

先日最後のブログ
といいながら
また更新してすみません

どーも
初号機です☆
本当は卒業式の日に
UPしようと思っていたんですが
予定よりはやく
ブログを引退してしまったので
危うく書くのを
忘れるところでした

といっても
またしても初号機の個人的意見なので
消さなくちゃいけなくなるかもですが

内容は
『先生について』
です。
少し前に先生ネタを書いてたんですが…
その後のブログで書いたように
私としてはとてもいい思い出
として書いていました。
しかし、後輩から指摘を受けて
気付いたのですが…
どうやら後輩は一連のブログを読んで
私が先生に感謝もしていない上に
最後に先生への不満を吐き出して
失態をさらしたいのだと
とらえたようでした。
確かに愚痴メインでしたし
そうとられてもおかしくないブログを書いた
初号機に責任があるのですが…

ただ本当に初号機にとっては
めちゃめちゃいい思い出ですし
今先生と当時の事を笑って話せる
自信もあります。
しかし後輩がそう勘違いしている
ということは
他のみなさんも
勘違いしている可能性があるのではないかと
ふと思いました。
本当は一連のブログの後
最後卒業式の日に
『けれどそんな先生を尊敬しているし
とても感謝している』
という事を書くつもりでした。
こうなってしまった以上
初号機のただの言い訳にしか
聞こえないかもしれませんが
最後にどうしても
書いておきたかったので
書かせていただきました。
先生は確かに
時間にはルーズだし
方向音痴だし
ダメなとこだらけですが
私は本当に尊敬しています。
初号機は実は
院の試験を受けた時
別の研究室へ行く予定でした。
けれど行く予定の研究室の先生と
うまくいかなくなってしまい
いろいろと悩んだ結果
いそろく研でお世話になる事に
なったんです。
その悩んでいる時
先生は自分の研究室の学生でもないし
そういう学生の指導担当でもないのに
私の話を根気よく聞いてくれ
アドバイスをくれました。
そして最終的に
いそろく研に行くと決めた時
快く受け入れてくれました。
本当に今でも感謝しています。
けれど院に進んだはいいものの
それまでにいそろく研には
院生がいたことがなく
先生も私も探り探り

お互いにいろいろと話し合ったり
時に衝突したり。
22歳の歳だけとったガキだった初号機
けれど先生はそんな私に
大きな期待と信頼を
寄せていてくれていたり。
唯一心残りは
先生の期待に答えられなかったこと。
院生になりたての頃は
正直今までのあまりの環境の違いに
戸惑いました。
何をしたらいいか
わからなかったんです。
それで腐ってた時期もありました。
先生に『めんどくさいです』
って言ったり
『それ意味あるんですか?』
って言ったり

今思えばかなりひどいですよね( ̄▽ ̄;)
当時はかなりガキでした。
まぁ今でもガキなんですが

けど先生は絶対見捨てたりはしませんでした。
そりゃもちろん
先生も人間なので
かなり腹は立っていたと思いますが

そしてM2後期からの休学。
休学した理由は
家庭の事情でしたが
最初は私の体調不良でもありました。
化学科は良い結果がないと
論文なんて書けません。
私はその結果がほとんど
ありませんでした。
ましてや実験しないと
悪い結果すら出ません。
そんな中での体調不良で
結果はない、実験もできない

最悪でした。
それを知った先生は
私に
『現状としてこれ以上実験はさせられない』
といいました。
つまり休学or退学
正直腹が立ちました。
同級生と一緒に卒業したかったし
ましてや退学を勧めるなんて
と思ったからです。
けれど先生は譲りませんでした。
結局休学したわけですが
今思えば
あの時のあの先生の発言は
立場上かなりまずかったハズ。
出るとこに出れば
先生はかなりやばかったハズです。
けれどそれがわかっていながら
あえて止めてくれました。
もちろん先生だけでなく
両親や祖父母等の説得もあったわけですが…。
先生のダメなとこは
気持ちが教師よりも
学生寄りなところです。
だから時間にルーズだし
締切とかも曖昧なんだと思います

けれどそれが故に
化学の先生の中で
一番私達の気持ちを
くんでくれる先生でもあります。
確かにダメな部分で
何度か苦しめられたけど
先生が気持ちをくんでくれる事に
私は何度も救われました。
その後復学したはいいものの
良い結果が出ず
卒業延長になりました。
結果が出なかったのは
もう初号機のせいです。
だから退学するつもりでした。
けれど先生はもったいないからと
いろいろと考えてくれ
結局退学はしないことにしたものの
初号機の家庭の事情で
かなりわがままを言わせていただきました。
そのわがままをあげれば
キリが無いくらい

言い訳をさせてもらえば
わがままを言わなければ
初号機も学校生活を続けていける
状況ではなかったんです。
なので退学を考えていました。
けれどかなりなわがままだったにも関わらず
先生は受け入れてくれ
詳しい事は言えない初号機には
何も聞かず
なんとか修了させてくれようと
頑張ってくれました。
一番のわがままである
『学校に来れない日がある』
よく受け入れてくれたなと思います。
だって後輩達に
示しつかないですもんね

言い訳をさせていただければ
初号機は一応最低ラインの
2年分の日数は欠席無しで
学校には通っていました。
だから許してくれたのかも
知れませんが
2年分通ったなんて
正直なんの意味もない
本当にただの言い訳に
すぎないんですよね。
なのに後輩達も後輩達で
本当に気を使ってくれて…。
なんとか実験を続けていく事ができました。
だから本当に先生には感謝しています。
なんだかんだ先生とは
7年来の付き合いです。
その間先生とは
いろんな話をしました。
時間ルーズなとことか
方向音痴なとこは
尊敬出来ないけど(笑)
先生の考え方やスタンスは
本当に尊敬しているし
先生にいろんな事を相談し
いろんな意見を言ってもらえ
初号機はかなり成長できました。
M1の時なんか
先生に実験の話をしに行ったのに
結局話し込んで
3時間…(゜▽゜)
とかよくありましたしね(笑)
(実験の話は5分位で終了ww)
最後に散々
締め切りギリギリで勘弁してくれ!
とか言ってましたが
あれも本当は
先生がX線を諦めなかったから。
まぁ確かに締め切りギリギリは
きつかったけど

諦めずに頑張ってくれたのは
本当に嬉しかったです。
なんか長くなってしまいましたが
先生との思い出は
本当にたくさんあります

そして先生には
本当に本当に感謝しています。
私みたいな
わがままばかり言うし
先生には文句言うし
いろいろと問題を起こす
ろくでもない学生を
最後まで見捨てないでくれました。
先生には感謝してもしきれません。
初号機が無事に修了できたのも
先生のおかげです。
本当に
感謝の気持ち、思い出など
書き始めたらキリが無いし
ここには収まらないくらいです。
私が先生にできること…
微々たるものかも知れませんが
何かしらの形で
必ず恩返ししたいと思っています。
なんか長文すみません

最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
書くか書かないか…
悩みましたが
前々から
最後には先生の事を書いて
ブログを締めくくり
卒業するつもりだったので
少し早いですが
書かせていただきました。
ではこれが本当に
最後のブログになります。
今まで読んでくださった方々
ありがとうございました


そして今後はNewいそろっ首を
どうぞよろしくお願いいたします

