退院!
きたよ~

できたよ~



嬉しいよ~





全てがきらめいて見えます

駅までの帰り道を
まるで小学校の卒業式かのように
母と一緒に帰っていると
いろんな事を思い出しました

まったく学校の勉強が
できなかった僕は小さい頃
なにか1つができたら
1つ褒めてもらえた
僕はたくさん褒めてもらいたくて
得意な絵を書いてよく見せていた
スイミングスクールでは
新しい級をとるごとに褒めてくれた

砂場で練習したバック転を
お父さんの前で披露した時に
すごい!と言ってもらえた

勉強はできなかったけど
得意な絵で高校入試が
決まった時は
両親共に喜んでくれた

そして本気になれる
ダンスと出会って
町の小さなお祭りから
地区大会
全国大会
世界大会と賞をとるたびに
家に電話するのが
とても楽しみだった

喜んでもらえる
その数の分だけ
どこか認めてもらえたような
そんな気持ちになった
だから必死に集めた
気付けば僕には
両親を喜ばせる手段が
ダンスしかなかった
だけど手術を受けて
ダンスができなくなったら
これから先、
僕はどうやって
喜ばせたらいいの?
どうしたら褒めてくれる?
何もなくなっちゃったんだけど
僕はまだ愛してもらえるかな
そんなことを考えていた
そして全身麻酔が解けて
目が覚めた時、
お母さんの姿が見えた
感じた事はシンプルに
1つだけでした
大切な人が生きてる
もうそれだけでいい
褒めてもらえなくてもいい
ただ
あなたがいる、幸せ
それ以上何もない
何も望まない
また会えて
とにかく最高な気分だ
人は幸せに向かって精進して行く
イメージがありましたが
もう幸せだったんだな
と思いました
お母さんはどんな時も
僕の前では平常心を保っています
クヨクヨしてても始まらない
と、いつもシャンとしてるけど
僕は心の不安を
お母さんにぶつける事ができても
お母さんはそれをどこにぶつけた
いいの?
僕の見えない所で
歯を食いしばって
グッとこらえている
母の姿を知りました
手術が終わった時、
きっとお母さんも僕に同じ事を
思ったんだと思う
大切な人が生きてる
もうそれだけでいい
がんばらなくてもいい
ただ
あなたがいる、幸せ
それ以上何もない
何も望まない
また会えて
とにかく最高な気分だ
そう思ったと思う
はじめてこんなに
通じ合えたような気持ちになった

そしたら賞とか級とか
喜ばせる手段とか
どうでもよくなった
あなたの元に生まれて幸せだよ
嬉しいよ
僕は元気だよ!
そのことを1番先に伝えたい
母は僕が手術中
ファンの皆さんのコメントを
熱心に読んでいたそうです
お手紙や千羽鶴も届きました

いつも泣かずに
シャンとしている母が
涙を浮かべて
「ありがたいね」と言う
15時間の手術のあいだ
母を元気付けてくれたのは
皆さんがくれた
応援のメッセージでした
やり場のない気持ちを
母は応援メッセージを
1つ1つ読む事で
自分を奮い立たせていたのだろう
母にとっても
僕にとっても
この元気玉は大きかった
本当に感謝しています





そして素晴らしい手術を
してくださった
岡山済生会病院の
ゴッドハンド三銃士の先生
ありがとうございます





今日からは
丸山悟史~第二章~ の始まり
より深い愛を持って
感謝と共に・・
いざ!!