講演開始の1時間前に到着して
受付をしに行こうとしたら
眉村さんとすれ違う感じになり
思わず会釈すると眉村さんは
気さくに会釈を返して下さいました
100人位の部屋が満席で男性も多かったです
眉村さんはあまりきつい関西訛りではなく
気さくなおじさんというか
親しみやすそうな方でした
講演に来る途中に通った
天王寺への道のりは
まさに奥様が入院されていた
鉄道病院へ通った道らしく
感慨深かったそうです
今年の年賀状は
美男美女の二人によって
映画化されることに関して
ひやかしの内容が多かったとか
映画化については
「へんな気分」と感想を述べられ
まず年代が違う
8年たっていたから平静に見られたけれど
時を経ていなければ自分は見なかっただろう
とも仰っていました
映画化を喜ぶというのは妻の死を喜ぶという事で
亡くなってよかったは有り得ない
何か映画化を素直に喜ぶという事は
奥様の死を考えた時に抵抗があるんだなと感じました
必要以上に美化されて少し強調されすぎている部分にも
戸惑いを感じられているようで
やはりテレビや雑誌等では映画の宣伝という部分が
あるのは仕方ないので
ご本人の生の言葉を聞くことができてよかったと思います
平成9年6月21日、東京出張の朝食時に
奥様が最近お腹が痛いというので
病院に行った方がいいねという話をして東京に行き
翌日、眉村さんの時間の勘違いがあって
講演をキャンセルし
予定を早めて帰る新幹線の中で
主治医からの車内電話を受け
奥様は盲腸だから
今から自分が付き添って
大きな病院で手術をすると言われ
必要な物を用意して
病院へ駆けつけたそうです
しかし、すぐ終わるはずの手術はなかなか終わらず
術後の主治医のお話では盲腸ではないということで
「治癒の見込みは?」と尋ねると
「予後不良」と言われたそうです
5年間持ちますか?という問いに対しては
黙って首を横に振られたと...
後からよくよく数えると5年に15日足りないので
彼は名医だと冗談めかして仰いました
淡々と話されていましたが
当時はどれだけ大きな衝撃を受けられたか
想像を超えますよね
退院後もかかりつけの病院に通院が必要で
どうすればいいかとかかりつけ医に相談すると
「美味しいもん食べて、楽しく暮らすこと」
のみ言われたが、まさしくその通りだったと
奥様は高校の同期生で24歳で結婚
どうしても眉村さんを小説家にしたかったようで
家に持ち帰って仕事をしていると待遇が悪いけれど
原稿を書いていると非常に待遇がよかったとか
その奥様に
病気に関して
「盲腸だったのか?」と聞かれた時
うそがつけなくて
「そんなもんではないらしい」と答え
後日、奥様から
正直に言ってもらってよかった、
もし言ってもらわなかったら
疑心暗鬼になっていただろう
といわれたそうです
毎日小説を書くと決め奥様にその事を話すと
答えは「読んでもいいよ」
なんとなく、奥様の性格をあらわしている答えだなと思いました
眉村さんがこだわって仰った事は
妻の為だけに書いたと言われるが
小説家としてもそれは有り得ないと強く仰っていました
奥様の年代をターゲットにして書いたから
従来の私のファンの方からすれば
生温い出来上がりになっていただろうと
それをわかった上で書いたのなら
やっぱり奥様の為だけの部分もあったのかな
全てではなかったかもしれないけれど
2002年5月19日に亡くなるまで
自分にとっては
書く事が救いだった
ショ-トショ-トを書いている間は
妻の病気を忘れられた
途中、奥様に
しんどかったら止めてもいいよ
と言われたけれども
もしかしたら
しんどかったのは妻かもしれない
ということを言われていましたが
私はやはり奥様は純粋に
ご主人が書き続ける事に対しての
労わりの気持ちで仰ったのではないかなと思うなぁ
闘病中も
イギリスや下田温泉に旅行にも行かれたようで
仲間が激励会を開催する計画を持ちかけてくれて
奥様に出席するかどうか尋ねると
「そんなパーティやったら死んでも行く!!」
と返事されたそうで
なんかすごくたくましくて前向きな方だったんだな
と思うと同時に、そんな奥様を亡くされた後の落胆は
ほんとに大きかっただろうなとも思います
奥様が亡くなってから
御葬式までの間に自分が実際言った事が
映画にも描かれていて
びっくりしたとも言われてましが
ネタバレになるのでここにはその場面は
書かない事にします
ご自分でも看病の後半は
かなりおかしくなっていて
今思うと異様だったと思われたようですが
亡くなってから他の人に
「一年間は何も新しい事はしてはいけない」
というアドバイスを受け
まさしく正解で
そんな時に新しい事を始めたら
ろくな事になっていなかっただろう
と仰っていました
今まで余生のつもりでやってきたけれど
映画をきっかけにまた
動き始めないといけないかなと考えている
と最後に前向きな言葉が聞けたので
とてもうれしかったです
眉村さんはずっと俳句も書かれていたが
俳句は一度も奥様には見せられなかったそうです
生前の句と亡くなってからの句で
私の記憶に残った
物を書き記します
「春嵐 持ち直しつつ 妻眠る」
「西日への 帰途のかなたに 妻は無し」
1時間30分の講演はあっという間で
ほんわかした口調で話される風体は
朔と重なりほのぼのした気分で聞けました
ここまでにたどり着く道のりを考えると胸が詰まる
思いですが希望を持って映画を見ようと思います
下手なレポで退屈だったと思いますが
ここまでおつきあい下さってありがとうございました
15日とても楽しみで笑顔で映画館を出られればいいのになぁ
と思います
むずかしいかな
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