皆さまいつもいいねやフォローやコメントをありがとうございます。
8月6日にこのことについて書けたらいいなと思っていました😊
ギリギリになってしまったけれど、大好きな映画の思い出し感想です。
完全ネタバレしています!
※今回バンタンの話は一切出てきません🙏
《この世界の片隅に》
初めて劇場で観た時、エンディングでコトリンゴさんの優しい歌声が流れると同時に涙が溢れてきて。
こうしてその時のことを思い出してもじんわりと込み上げてくる温かくて切ない感情があります。
原作の漫画も読んで、その後公開された《この世界の(さらにいくつもの)片隅に》も観ました。
この映画の全てが素晴らしくて大好きで、私の中でずっと輝いています。
瑞々しく優しい絵。のんちゃんの春の陽射しのような声。コトリンゴさんの真綿のように柔らかな歌声。
笑いも涙も大事なことも全部あるのに、押し付けがましさは一つもないストーリー。
愛すべきキャラクターのすずさん。
それらに白い木綿カバーを掛けてずっと変わらず褪せることないよう大切にしたいと感じられる作品です。
主人公のすずはとにかくぼーっとしている心の優しい少女のような人で、絵を描くのが得意な以外はほとんど抜けています。
大抵何をやらせても時間がかかったり失敗したり。
それでもそんな自分を卑下したり、かと言って持ち上げたりもせず、そのまんまのんびりとひたむきに生きています。
周囲にあーだこーだ言われつつもいつも明るく朗らかな彼女を、女優ののんさんが《息を吹き込む》という表現がぴったりなくらいに好演しています。
本当に素晴らしかったです。
作品中、戦争映画によく見られる悲壮感は皆無です。
目を背けたくなるような暗い描写もほとんどないのに、見終わった後には生きていくことの素晴らしさと共に、様々なものを奪っていく戦争について考えさせられます。
大切なことを優しく温かい観点から教えてもらえるような作品なんです。
戦争が奪うもの。
核によって一瞬で、或いは時間をかけて奪っていくもの。
それは当然命だけではないことをすずさんの変化を見て気づかされます。
のんびり屋の彼女がいつしか竹槍を持ち、ドジで全く頼りにならなかったのに一家の中心となっていく。
純粋な心が、
ただ穏やかに生きる人たちの日常が、
誰かの未来が、もちろん命の全てが、強制的に失われていくことは言葉になりません。
生活や価値観や自分すらも変わっていく中では、普通が普通であることが尊いことなのです。
ある日突然知らない土地へ嫁ぎ、そこで経験する様々なこと。彼女はそれらをあるがまま受け入れ、波のゆくまま流れるままに心を保っていました。
慣れない土地で一人奮闘してきた彼女にとって絵を描く時間だけは、本来の《浦野すず》であることを確認するひとときのように見えました。
大好きな絵を描いてきた右手。
それを彼女は途中で失います。
「もしあの時…」「もしも…」という自問が彼女を責めます。
それはこれまで無意識に封印し、今を生きることだけに専念してきた彼女の中の仮定ボックスが爆発した瞬間のようでもあり。
彼女にとって右手を失うことは、自由に生きることを剥奪され、アイデンティティを失いかける出来事でもあったように思います。
その後、終戦を知らせる時が訪れます。
その瞬間家を飛び出し激昂し、心の声を叫びに変える姿。全てを受け入れ生きてきた彼女が初めて感情を剥き出しにする姿に心が震えました。
それでも時は過ぎ、再び日常を取り戻すために生きていきます。
強くたくましく、昔とは違う新しい日常を歩んでいくのです。
「この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう」というのはすずさんが夫に伝えた言葉で、それはこの映画のタイトルでもあります。
特に大きなことを成し遂げるでもなく、日常に追われ、些細なことで笑ったり傷ついたり。
目にも留まらず行き過ぎてしまうような、道端に咲く平凡な小さな花。
そんな花にもそっと近づいてくれる人がいること。
一緒に笑ったり感情を共にする人たちがいること。
そんな世界にささやかに生きている証の言葉に感じられて心が温かくなります。
そして今この世界の片隅に生きる全ての人たちに、普通が普通である日常があることを願い、祈ります。
映画は最後まで明るく朗らかで。
人間は強く優しい生き物だと教えてくれます。
日常が変わっていく、それでも人は生きて再び日常が続いていくことを描いた素晴らしい映画です。
ご覧になっていない方がいらっしゃったらぜひ😊
最後に。
かつてこの世界の片隅にいた方々の魂が、たんぽぽの綿毛のように安らかに空を舞い、新しい場所に自分の地を見つけ、再び花を咲かせていますように。
本当に感想に終わった記事ですが、最後まで読んでくださってありがとうございました。