近所に住む娘が、先日の私のブログを見て、燕を拾って来たのは小学校の時ではなく、大学生になってからで、また、逃がしたのではなく、逃げられたのだとのこと。

 加齢が進んでいるとはいえ、自分の記憶がいかに不確かだったか改めて実感した。

 

 最近のことは忘れても、昔のことはよく覚えているものだと、常々思っていたが、残念だが、娘の方が若いのだから仕方がないとしよう。