1980年代の 3月

私は 陣痛誘発の末2日がかりで 長男を 最後には吸引分娩で出産しました 

これで ダメなら 帝王切開だから

と 言われた 言葉も 

忘れられないし…

お腹を 押されて なお苦しかった事や

先生や 看護師さんの お尻が 私の顔の目の前に あったことも 

忘れてません🤭


出産後  発熱や色々あり 

私は 一週間で 退院できずにいました

(その間 夫や両親は 赤ちゃんをガラス越しに見るだけで 抱くこともできません)


夜に大量に 出血し

翌日 更に 処置を 受けました

胎盤の一部が まだ 胎内に 残っていたのです

辛くて 泣きながら眠り 目覚めると

心配げな 母が いました

その時に

母が言った言葉は

「具合が 悪くなったのが 

お前でよかったぁ~

 赤ん坊なら しゃべれないから 

どこが 痛い ここが痛い って いえないべさ 


だけどさ  赤ん坊 置いて

 お前に 死なれるんでないか と 心配したよ

起きてくれたから ほっとしたぁ~


それから あんまり 気に病むんでない

騒ぐんでない

命とられたわけじゃ ないんだから」

そんな 話を

してくれた気がします


その母も

その 数年後 の 9月に 闘病の末

他界しました

その時も とてもとても 辛かったけど

闘病をみていたせいか 父親も他界してたので

覚悟はできていた  辛さでした


今  私は その母の年齢に なりました


私の 大切な 柴娘

先月 突然 旅立ちました


7月下旬

主人の実家で 怪我をし 手術をし

わずか その17日後に 命を おとしてしまいました 

全く 覚悟も 出来ていませんでした

死なれるなんて 全く思っていませんでした


怪我させて しまったこと

とてもとても 後悔していました

老犬になってきたので

あれほど 普段 注意していたのに

まさか 夫の実家で おきるなんて…


長女も その場に 居て 

ケガの原因が

自分に あるのじゃないかと

落ち込む娘に 

「気にするんでない

ケガですんで よかったしょ

命とられたわけじゃ ないんだから~」

私は そういいました


なのに

こんなにあっけなく

前触れもなく 術後 命をとられたら

私は どうしたらいいの

母さん おしえて…

命 とられちゃったよ…



柴 犬 の 私の 柴娘は

14才と一週間で 虹の橋を

渡って行きました

私とは 13年と10ヵ月 一緒に居てくれました

この家を 建てて 周りに 知り合いも 

いない私達に 犬仲間の 友人を作ってくれました


感謝して ありがとう

と 言いたいのに ごめんね

としか 言えません


おとつい

いつもの散歩の公園のそばの 花友達に

やっと 話す事が 出来ました

辛いと…


言ってくれた言葉の中に

よーく 旦那さんと 散歩してたしょ

よーく めんどうみてたの 知ってるよ

やれるだけ やったんでしょ

最後は

辛かったかもしれないけど

その間は その前までは楽しかったしょ

なつも 幸せだったしょ

ありがとうって

言わなきゃねって


わかってるんだけど

あの時 違う判断していたら …

先生が 病気を見つけてくれてたら…

どの程度の術前検査だったの?

色々 悪い考えが

出てきてしまう

聖人君子には なれない


夫が 

全て 終わった事だ

戻れるわけでないんだから

やれるだけ やったんだから

最期には おかあの腕の中で逝けたんだから

という

わかってる


只 うんうん

って きいてほしいだけなんだ


わかってる

夫だって

私と同じく 辛い


7月 8月

何だか  思い出せない 事が 多い


今日から 9月

少しづつ  良い事 だけ

思い出すように していこう


娘がいう

「おかあが 泣いてたら なっちゃん悲しむよ…」


夏に生まれた

私の 末っ子の柴娘

夏に逝ってしまったね

14 才なら 人間なら中学生だね

美人で 制服も似合ってたね…

なんて 思うよ


今まで ありがとう


昔 私の実家にいた

 北海道犬の シロやミミや

夫の実家にいた 北海道犬のロンや太郎に

会えたかな⁉️


おかあが

そっちに 行ったら

 又しっぽふって ワンって吠えて ね‼️

一緒に暮らそうね


ありがとうね

ありがとうね