子供の頃の話です。
なぜか住所を書くことが気持ち悪かったです。
気分が悪いというより、おかしなことをしている感じで。
カチッとはまっていない、宙ぶらりんな感じがしました。
いつしか違和感は消えたけれど、あれはなんだったのだろう?
その頃は周囲の景色が滲んで見えていた気がします。
だから、必要な物が見えなくて、前に遊んだあれ?どこだっけ?となり、
探しても見つからないので、目につく物で遊んでいました。
執着がないとかじゃなくて、そもそも見えていないことが多かったです。
見えていないのは、目が悪いんじゃなくて、知覚できない感じです。
自分と同じ次元にない感じ。
あまり現実感もないし。
自分の名前を呼ばれても、ちっともピンと来なかったので、心配されていていたこともありました。
結局、慣らされていってしまったけれど。
成長するにつれ、友達と遊んでいても、自分に合う人はほとんどいなくて、
自分とその他の世界は薄い透明な膜が張っている感じでした。
自分がオープンに話してもどこか暖簾に腕押し糠に釘のような感じで、相手の本質に触れられた感じがしない。
そのくせ、他人からはあなたの一言で人生変わったみたいなことを言われることが多くて、全く釈然としない日々でした。
なんにも実感が伴わない。
触れられている気がしない。
ずっと欲しいなと思っていたものを手に入れても、実感が伴わないまま、時間だけが過ぎていきました。
私がこの実感することに囚われていたら、大変だっただろうなと思います。
けれど、執着もそれほどなかったのが幸いし、いつしかそんなものかと諦念が生まれました。
人生のタイムラインとしては、インプットよりアウトプットのターンに入ったと感じています。
過ぎてしまえばあっという間ですね。