周りの教え事情
この前帰りに偶然会社で仲良くしてるクリスチャンさんと一緒になりました。
私の地元の駅にある図書館にヨハネの黙示録を題材にした
小説を返しにいくとの事だったので、一緒に地元の駅でラーメンを食べました。
さっぱりがいいって言ってたのに、蒙古タン麺中本に連れて行きました。
途中雨が降っていたので99ショップで傘を買い、駅まで送って差し上げました。
これってアガペーになるのかな。
大人になると、いろんな宗派に属してる方に出会いますね。
うちの姉も最近ミサに行っているそうで、なんか行くと良い事があるんだと言ってました。
姉は難聴なので、神父の話はよく聞こえないけど、
元担ぎにはなってるそうです。それでいいと思います。
私も会社のクリスチャンさんから聖書もらったり、映画かしてもらったり。
でも全然見ないので、 この前のバースデーではマンガで読む聖書をもらいました。
マンガのが読みやすいですね。 夏には神父とファミレスでガチでお話をさせてもらったりと、
今年はキリスト教に触れる機会が多かったです。
ゴスペルってのも集会所で見ましたね。
私達に歌を聞かせるというか、神様に歌ってるんですね。
そんなキリスト年だった私ですが、最近少し気になってるのが仏教の考え方です。
諸行無常を愛する意味は分かりかけて来ている気がするのですが、
たしかにこれを考え出してから、心の枷が少し軽くなった気がします。
しかし、諸法無我についてはまだまだです。私を無くす、どこまで無くす?
今一ピンとが合わないんです。 そのうち何かヒントが出て来ると思うんですがね。
この二つが完璧に受け止められ、実行出来ると涅槃寂聴、悟りになるらしいです。
名前位しかしらないので詳しい方が見たら笑われてしまいそうですが
多分、諸行無常はこの世界の事で、仏陀的にこの世界で生きる上で最も良いと思ったのが
諸法無我なんでしょうかね。 しーらんけ。