ぼやき
景色の移り変わりは楽しいものですね、鬱蒼と茂る緑、
艶やかな紅葉 哀愁の枯木、雪景色。どれも本当にきれいだなって思うよ。
しかし現代でその環境の変化は一つ下の層での楽しみであって それは私達が翻弄されない部分であるから、
安心して楽しめるだけの娯楽の一つにすぎない。
夏の涼しさも冬の暖かさも食料も、大した苦労を必要としない。平安京の貴族みたいだ。
現在、私達が本当に四季と感じているものは山にはなく、永田町やNY証券取引所であろう。
私達は自身の生活が不安で不安でたまらないのだ。だからこそ、その儚さの萌えるのだ。ああ可愛らしい。
そして、生きるのがつらい時、人は自然の不変さに励まされ、感動する。ああ勝手、ああ可愛い。
自然に帰れない動物に成り下がった私達がそう思うのも無理はない。
ホームレスですら都会からは出ようとしない、人間に飼いならされたペットと一緒であろう。
人間が他の動物より勝っているというならば、しがみ付く為の爪はもう必要ないだろう。
全ての出来事にしがみ付くのはやめよう。
親友とは遊べるまで遊ぼう
任された仕事はやれるまでやろう。
愛する人とはいれるまで一緒にいよう
子供に伝えられるだけ絶対であり続けよう。
ここにある命を生きれるまで生きよう。
翻弄されるのは楽しい、でもそれによって誰かを蹴落としてまで生きれるほど私達は本当に強いのか
一度罪の意識を知ってしまったら、その呪縛から抜け出す事は難しい。
そもそも中途半端だったのか、罪の意識
他者への愛を覚えた時点で、同じ領域内にある自己愛は捨てたほうが迷わない。
他人を思う気持ちの上にはまた自己愛がある訳で、神がいるならば、肉体後の約束の地が近づいてるって事
その約束の地へ近づいたのはだれか、それは助けられた彼ではなく、助けた自分自身の方。
また自尊心より上の他者への愛にたどり着ける者もいるだろう、つまりは、白黒白黒白・・・
多分この白も黒も理屈の範疇って気付いて、そこ越えるとまた次の土俵があるんだろうね。
大戦の最中、日本国民は領土に対して感じる美しさを今よりも強く感じていた事だろう。
それは当然で、ここがいつ戦火に覆われるか、敵国に奪われるか不明な状況で、
いま見てる姿はもう見ることができないかもしれないと感じ、
ここがなくなるのが先なのか、それとも自分自身が先か。
でも、日本の領土の美しさは今も昔も変らないだろう。ここは人が陥る心の錯覚
どんな次元でもおこりうる事、黒があるから白が際立つ。白に落とした黒は目立つ。
なにが言いたいかって?そんなの何もないですよ。ただのボヤキです。