つづき………
父の遺骨を持ち再び斎場へ
お坊さんが来てお経を唱え30分程で終了
全てが終わり父の遺骨と共に自宅に戻ってきました。
母と主人、私の3人は一気に疲れがきた感じでその日は主人は2階で、母と私は父のお線香番の為、居間に かなり早い時間から就寝してしまいました。
次の日、少し片付けをしようと、父がずっと座っていた辺りを整理していたら、あるノートを発見しました。
パラパラめくってみると
父が書いた文章がありました
************
生きたい、生きよう、と願う人には、
おまけがあるかもしれません。
諦めたらそこで終わってしまうから、
希望を捨てず、最期まで闘っていきたいと思います、皆さんもファイト!
************
入退院を繰り返していた時書いたものなのでしょう…
これを読んだ時、涙が止まりませんでした。
最後までガンに勝つと戦っていたんだな~って…
母に見せたらまた号泣
父が息を引き取る前の状況を詳しく教えてくれました
父は兄弟、一人一人に『今までありがとう』と挨拶をしたとの事。
亡くなる2、3日前ぐらいからかなりの痛みが出できてたようなのに、私達に意識がハッキリした状態で会いたいと思っていたようで、ホスピスに入ったのに、普通の痛み止めを使用…
モルヒネは一度も使わなかったそうです。
あまりの痛みに父が入院している病院の看護師をしている姪っ子に
『頭の急所を押して殺してくれ』と言ったぐらい痛かったのでしょう…
それでも一言も痛いとは口に出さず、耐えていたようです。
父は絶対延命治療はしないでくれと母に言っていたようで二人の間では話がついていたようですが、父の兄弟は『いそこに会わせてあげたいから延命治療しなさい』と言い、父は意識がはっきりしてるものだからそこで少し言いあいになったそうで
父は『いそこは震災なんだから仕方ない、だからいいんだ』
そう言う父に何も言えない兄弟は母に言ってきたそうです
でも私も父と母に同意
お父さんの言う通りで良いと母に伝えました。
きっと父方の兄弟にしてみればなんという薄情な娘なんだと思ったに違いない…
でも、父が選んだ事…
逆に父らしい選択だなと思った
最後まで強くてカッコイイ父でした。
そして4月30日、四十九日法要が終了しました。
お父さんへ
最後の最後まで心配かけてしまってごめんなさい
一人娘なのに、看取ってあげることも出来ず、親不孝な娘でごめんね
私はあなたの娘としてこの世に誕生出来た事をとても誇りに思います。
お母さんの事は心配しないでね
お父さんの分まで大切にします。
お父さんの娘として恥じない生き方をしていけるように頑張るね
68年間お疲れ様でした。
ゆっくり休んで下さいね
ありがとう
娘より
終わり
最後まで読んでくれたみなさん、お付き合い下さいましてありがとうございました。
