ある朝、新聞のコラム欄の詩を読んで愕然とした。

 

 「最も鈍い者が」 吉野弘

 

言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできたと思う日

 

人に教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

 

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

 

 これは自分のことではないか。教員の時は学級通信「はりぼうず」を毎朝朗らかに書いてきた。管理職になってからは言質を取られる怖さも知らずに「ぼうず通信」を毎週書いてきた。今は毎日のように「ぼうずブログ」を書いている。あまりの無防備な言葉の息遣いに、いつ炎上するのではと各方面からご心配を頂いている。

 

 毎朝、写経の後に書く言葉がある。感謝、感動、共感、協働、共生、誠実、実行、使命、天命。毎朝書いているにもかかわらず、感謝の気持ちが実感できない。それが最も鈍いことの証かもしれないな。