学校の存在意義

 

  昨日は愛知県私学協会の教員研修会に呼ばれた。愛知県の高校は公立と私立の割合が7対3の協定で行われている。現状の課題は、慢性的な常勤教員不足が続いている、成績上位から下位まで裾野の拡大傾向が見られる、外国ルーツ生徒が増え、生活指導と基礎学力向上が必要である、若手教員を積極的に活躍させたい、などである。

 幹事の先生の学校は、以前から公立高校に入れなかった生徒が通ってくる私立高校で、昔はやんちゃな生徒が多くいたが、今は外国ルーツや内向的でコミュニケーションの苦手な生徒が多くなっているそうだ。学校を3日欠席すると必ず家庭訪問に行くことが学校のきまりになっている。公立に行かずに本校にくれば卒業できる生徒がたくさんいる。本校の校長はうちを選んでくれた生徒は全員卒業させると言っている。こんな言葉が印象に残った。

 地域よって、公立と私立の立ち位置や役割、集まる生徒層に大きな違いがあるが、シンプルに言えばその学校に与えられたミッションをどれだけ具現化できるかが学校の存在意義になる。

 東京では、私立の授業料無償化、中学受験の過熱化で、公立と私立の在り方の大きな潮目を迎えている。定員割れや転学、退学の多い公立高校の存在意義が問われて、公教育の私学へのアウトソーシングが加速するのではないか、そんな時代がすぐそばまで来ているような気がする。