関西のオモロイおっさん

時代を築いていった嘉納治五郎、渋沢栄一、平生釟三郎各氏の先人達は、共通して、それぞれの分野で先進的な活動をしながら、自らの資材で、塾と言われる有望な青少年を育成するため寄宿舎を経営していた。自らも子供達と寝食を共にし、正しい日本の方向性や青年育成の理論を示しながら、正しく体を張って実践教育を行っていた。最近、鈴木桂治氏が全日本監督の傍ら、子供等の健やかな健全育成を目的に、自らの資材で柔道場を建てて指導していると聞いた。日本柔道の将来の方向性を示しながら、自らも実践を試みている。ボウズ教育実践研究所や関西の某恩師を含めて、その行動力と実践力に心よりの賛辞と敬意を表したい。日本の将来にも明るい兆しを感じる。私自身も大いに力と勇気を頂いている。

 

 今の学校教育は、教育のキーワードがまず先にあり、その根拠を示したり、それを解説するための評論家や研究者たちが書いた本や論文があふれている。そうした乾いた言葉を目にするたびに法隆寺の宮大工だった西岡常一棟梁の言葉が脳裏をかすめる。

学者はこの時代はこういう様式のはずや、あの伽藍はこうやったし、ここはこうやったからこうあらねばならんと言うようなことを言いますのや。これじゃ、あべこべですな。先に様式を考えているんですな。そうじゃなしに、現にある、廃材の調査からどんなものだったかを考えなならんのですよ。自分の考えの前に建物があったんですからな。

職人がいて建物が建って、それを学者が研究しているんですから。先に私らがあるんです。学者が先におったんやないんです。職人が先におったんです。

 塔の再建には鉄を使わなあかんという学者にはこう言いましたわ。鉄を使ったらせいぜい二百年しか持たん、木だけで造れば千年は持つ、現に木だけで、ここに法隆寺のように千三百年の塔が建っているやないか、と。目の前に建っているものがあるのに聞かんのですわ。法輪寺の三重塔でもやりあいましたし、薬師寺の金堂でも論争になりましたわ。

体験や経験を信じないんですな。本に書かれていることや論文のほうを、目の前にあるものより大事にするんですな。学者たちと長ごうつきあいましたけど、感心せん世界やと思いましたな。 

『木のいのち 木のこころ 天』(西岡常一、草思社、一九九三年)