コップを立てる

 

  あの日からA先生の言葉が頭を離れない。もっと本質的なこと、本当のこと、本物と言ってもいいかもしれない。それに触れさせることが大事だという。塾や予備校、進学校もそうかもしれないが、自分から学ぼうとしている生徒に教えることはそれほど難しくない。先生の学力がよっぽど低ければ別だが、それは口の広いバケツに水をそそぐようなものだ。神社の賽銭箱にお金を入れそこなうやつはいないだろう。

 

 ところが学び直しの学校はそういうわけにはいかない。横や下を向いた口の狭いコップに水をそそぐのは至難の業だ。中には頑固な蓋のついたコップだってある。まずはてんでんばらばらに転がっているコップを立て整然と並べること(ユニバーサルデザイン)から始めなくてはならない。それが授業規律の意味だ。

 

 ただここまでは外からの力でなんとかなるが、コップの口を広げたり、口を塞いでいる蓋を開けるのは容易なことではない。水道の蛇口に無理に口を持って行っても、本人に喉の渇きがなければ水は体にしみ込まない。コップの蓋を開けるのは個別の指導と共に心の蓋を開かなければならない。それが本質的なこと、本当のこと、本物に触れることなのだろう。それは教える側の人間力が試されることになる。