昔のように民宿の調理場で恒例の飲み会が始まった。おやじさんが電子レンジで「北光正宗」に燗をつけてくれる。40年前にタイムスリップしたような光景だ。昔と違うのは町役場に勤める息子さんとその奥さんが一緒にいることだ。もし、あの時、息子の友達が呼びに来なかったらこの光景はない。

 

***

  おやじさんの絶叫が裏山に響く。そしてスケキヨ状態の黄色い長靴はぴくりとも動かなくなった。雪に埋まって窒息状態にあることは容易に想像できた。もう一刻の猶予もない。その時、また、おやじさんの鬼気迫る叫び声が裏山に突き刺さる。

「いいから早くいけー。飛び降りろ。たのむからいってくれ」

 

 儘よ。おやじさんの叫び声に背中を突き押されて雪の中へ飛び降りた。その瞬間、無意識に腕と脚を大きく広げ雪の抵抗をつくる姿勢を取ったからなのか、降り積もった雪がしまっていたからなのか、幸い全身がうもれることはなく肩から上は雪上にあった。何とか呼吸はできる。息子の黄色い長靴はまだ先にある。まわりの雪を両手でラッセルしながら、息子の片脚をつかみ、渾身の力で上半身を引きずり出した。

 雪の中に真逆さまに埋まっていた息子の呼吸はない。顔は蒼白、唇はチアノーゼで紫色になっていた。人工呼吸が必要だ。ふっと見ると息子の黄色い鼻水が半分凍ってジャリジャリのシャーベットのように顔中にこびりついている。練乳入りのかき氷のような状態に一瞬たじろいだ。マウス・ツー・マウスか、マウス・ツー・ノウズか。どちらもリスクが高すぎる。そこで人工呼吸の代わりに柔道の活法(絞め技で気絶したときに意識を戻す方法)のひとつで横隔膜を手のひらで圧迫する方法を使って活を入れてみた。

 

 すると息子の呼吸が戻ってきた。しばらくすると意識も戻り、事の重大さに気づいた息子は恐怖で泣き出し、涙と鼻水と氷が混じって顔中がぐじゃぐじゃになり、練乳入りのかき氷に塩分たっぷりのシロップをかけたような悲惨な状況となった。

 

 飛び下りてからの時間の感覚がない。ふっと気が付くと救急隊が裏戸から深い雪をラッセルしながら近づいていた。雪に埋まったまま泣きわめく息子を抱きかかえている。しばらくすると救急隊員から、これ以上近づけないから息子を放り投げるようにと指示があった。救急隊員が雪の上に毛布を敷いて構えている。

 

 息子は救急隊員に無事キャッチされると、毛布にくるまれ救急車で病院に運ばれていった。大騒ぎの現場は人影がなくなり、静まり返っていた。そしてふっと我に返ると雪に埋もれて、まったく身動きが取れない自分に気付いた。おやじさんや救急隊員は病院に行ってしまい誰もいない。あたりがうす暗くなってきた。今夜の夜行バスに間に合うのだろうか。またしても運命のいたずらに翻弄されるのだった。

つづく