野沢温泉

 

 久しぶりに野沢温泉を訪れた。温泉街やスキー場で会う人の半分以上が中国や欧米から来た外国人である。これには驚いた。40年前のスキーブームの頃はどのスキー場も日本人でごった返していた。あの頃、野沢温泉では関西人が多いことに驚いていたが、今は関西どころではない。なじみの宿屋の息子さんが町役場に勤めているというので現状を聞いてみたら、300軒以上あった民宿も高齢化で半分以下になり、やめる民宿や旅館を外国人が買い占めているらしい。これは野沢温泉はに限ったことではないのかもしれないが、あと40年経ったら日本はどうなっているんだろうか?

 それでは40年前にタイムスリップして、民宿の息子さんの話をしよう。

 

 昭和55年(1980年)40年以上も前の話である。教員試験に落ちて冬に野沢温泉の民宿で居候(朝晩は民宿の手伝い、昼間はスキー三昧)をやっていた。

 3月初旬のある日、実家から「採用面接の通知が届いたからすぐに東京に戻るように」という連絡が入った。何はともあれ、現実に教員になれるチャンスがめぐってきたのだ。早速、翌日の夜行バスで八王子に帰ることにした。

 翌日、荷物をまとめて帰り支度をしていると、民宿の息子(当時小学生)が「裏山の雪だまりに落ちた」と友達が知らせに来た。

 民宿の裏手には山が迫っており、建物から山の間は雪が深々と吹き溜まりになっていた。その吹き溜まりの上に黄色い長靴が見える。普段息子が履いている長靴だった。真っさかさまに膝まで雪に埋まり、黄色い長靴が雪の上でバタバタと苦しそうにもがいている。それはまるで「犬神家の一族」のスケキヨのような状態であった。

 裏山の小道から雪面まで7~8メートルはある。飛び下りれば全身が雪に埋まり、救助どころではない。どうしようと躊躇していると、突然、民宿の裏窓が開き、民宿のおやじさんが必死の形相で怒鳴りはじめた。

「行けー! 早く行けー! 飛び下りろ!」

 つづく