教師のオーラ   はま語録

 

大村 ここは中学校です。大人になる学校です。・・・それで、とにかく国語の時間としては、これから一ぺんでものを聞いてほしい、私の言うことは一ぺんで聞きなさい。そういうふうに言いました。わからなければ二度でも三度でも言うけれど、お詫びをしなければ言わないって。大人は聞きそこなったりすると、恐れ入りますがどんなお話でしたか、と、そういうふうに言って謝らなければ聞けない。だからそれをまず国語の時間にやってほしいと言いました。ただし、それは教師のほうからすれば大変なことなの。自分が一ぺんでわかる話をしているかということが問題でしょう。大問題。

 

夏子 言い方が悪くては、しょうがないですものね。

 

大村 そうですよ。先生がよい話し手でないとできないわけです。一ぺん。一ぺんでわかってねと。そんなふうにして大人の意識、ここは小学校とは違ったところであって、大人になるための学校で、もう子どもでないのだということをそういう形で最初に子どもの胸に入れました。それは、教室にかなりの緊張を呼んだものですよ。

 

夏子 生徒もそれで緊張感と気力があったんですよね。なにかピンと背筋が伸びたような中学生だった。私が掲示版の係になったときのことですが、先生が掲示板に貼ったものはすぐに剥がしなさいっておっしゃったの。せっかく作って貼ったものをすぐ剥がすのはどういうことかなと思ったら、どんどん入れ替わる掲示版でないと、人が見ないっていうんですよね。

 

大村 そうよ。ちょっと見て、掲示版がきのう見たのと同じだったら、あ、きのう見たと思うじゃないの。

そうすると見ないことがある。だから私は一日で必ず剥がしたの。意地悪をして「きのう掲示版に出しておいたから、もうわかっているでしょうが」なんて子どもに言うこともあった。そうすると、きのうそれを見なかったという人が出てくるんです。そんなことがあると、みなこりごりしてよく見るようになる。掲示版はじょうずに使うといいものですよ。ともかく一度ということはいいことだと思うわ。そいうふうにして教室にはピリッとしたところがどこかにないと。

 

夏子 たとえば掲示版に貼ったものを一日で剥がしてしまうというのは、先生の気迫以外の何ものでもない(笑)。その気迫を保つというのはむずかしいですよね。だいたい途中でいやになったり疲れたりしてしまったりして。でも大村先生は、中学生よりずっと小さい体だったのに、ほんとうに汲めど尽きぬというほどの気迫でした。先生にお会いして最初の印象も、まあ怖いとは思わなかったけれども、やはりなんだか迫ってくるものがある人だと思った。エネルギッシュな職業人。

教えることの復権 大村はま/苅谷剛彦 夏子 ちくま新書

 

  今の時代だからこそ教えることの本質を見直したい。

 夏子さんははま先生の教え子だった。教師の魅力のひとつがその先生が放つオーラ。そのオーラで子どもは従順になる。オーラは先生の気迫と言い方から生まれる。その源泉は教えることへのこだわりだったり、使命感や矜持であったりする。その緊張感が教えることを根底で支えている。