↑この手法は世田谷美術館も踏襲すべし!

FBで少々触れましたが、先週の議会の中休み日に、三菱一号館美術館の「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」に行ってきました。昨年オーストリア大使館に情報交換に訪問した時から心に留めていたものです。フェリーツェ・リックス。その存在は知らなかったが、20世紀初頭のウィーン出身の工芸デザイナーで、京都出身の建築家・上野伊三郎(早稲田大建築出身)と結婚、両国を往復しながら、メインのテキスタイルほか工芸品やインテリアデザインに功績を遺したという。

現代の洋服プリントでも通用しそうなカラフルなテキスタイルが目を惹く。プラムから朱赤まで様々な赤、エメラルドグリーン、エルメスのような茶オレンジ、黒・・・ケンカしそうな鮮やかすぎる色たちがポップな柄のなかに絶妙に調和していて、なぜか、戦前~2013年まで渋谷の角地にあった生地屋マルナンにずらりと並べられていたプリント服地を思い出しました。(ここの生地で母が縫ったワンピがまだ実家にあるはず)

 

夫婦でアーティストというと昨年世田谷美術館で開催した「二人のアアルト展」と比べてしまうが、アアルト展が夫妻のプライベートにも焦点を当てていたのに対し、上野リチ展は、伊三郎やその師匠・村野藤吾(この人はこの人でビッグネーム)とのかかわりはあまり表現されていなかった。

ウィーンのような芸術の都から、極東の日本に嫁ぐ心理、当時の日本の魅力なども知りたいところだったが…三菱一号館美術館の客層が、仕事の合間に立ち寄るビジネスマンや(三菱系で優待券がばら撒かれているに違いない)元丸の内OLが多いので(自分もか)、展示スタイルは客層に合わせてあるに違いない。

 

リチは1967年に亡くなっているが、インテリアの代表作として、自分もたまに観劇前の待ち合わせに使った日生劇場(村野藤吾設計)のレストラン「アクトレス」の壁画が挙がっていたのが残念だ。憶えていないし現存していない。

 

それはそうと、「1894年、ジョサイア・コンドル設計の…」をウリにしているが、私たちが勤めている頃にはここは美術館じゃなかったよ!三菱地所がもとの建物を解体して2010年に美術館としてスタートさせました。だから(ここ、昔あったかなあ?記憶にない)と思われた丸の内OB/OGの方々、認知症ではありません、ご安心ください。

 

*中庭では結婚式の写真撮影もしていた。ここから新しい家族が出発するのですね。

館内カフェ1984が40分待ちということだったので、帰りに国際フォーラムのカフェ・ウィーンに寄ろうと足を運んだが、なくなっていた。

日生劇場の前を通る。周囲はかなり変わったが劇場はまだありますね(ほっ)。地震大国日本では、多くの名建築は再開発を機になくなってしまう。建築を学ぶ学生さんは、今のうちに昭和の偉大な建築を見まくってほしい。