このブログの読者はとっくにご存知だろうが、立憲民主党の本多平直議員が、性行為が禁止される下限年齢を13歳から16歳に引き上げるワーキングチームで「50代が14歳と性交するのに同意があっても捕まるのはおかしい」など、成人と未成年の性行為を容認する発言をしたことが、最初は議員の名前を出さずに報道されました。(本人は後に謝罪、撤回)

撤回したとしても、真面目に人生送ってきて高校生の親でもある自分には(えっ?えっ??)という、想像すらできない内容で、それがわが党の議員だと知って二度びっくり。いそだ基準では令和に入って最悪の、政治家の問題発言だと認識しています。

これは森発言よりひどい。森元会長の発言は、前後の関係をみれば「女性には話の長い人もいるが、うちの組織委員会の女性はそうではない」という話の一部が切り取られ、さらに、本人が発言していない”わきまえない女”という言葉にハッシュタグがついて、ジェンダーを標榜する女性文化人なども乗り合って拡散されました。経緯を知らない人は、「森会長は、組織委員会の女性たちを”わきまえない女”と罵ったようだ。これは辞任に値する」と思ったことでしょう。

この件は、女性蔑視の問題(がないとはいわないが)それより偏向報道とcancel culture(著名人の失言などを大きく取り上げ、役職を退くまで叩く風潮)の問題のほうを強く感じました。私の周辺では「やりすぎ。森さん叩きのニュースが朝から晩まで、気分が悪い」との声が、多くは私より年上の女性から寄せられました。

 

だから今回の本多発言は、女性団体やマスコミがまた大きく取り上げるのだろうと思ったらそうでもない。ジェンダー女性議員たちも騒がない(騒いでもマスコミが報道していないのか)。森さんのときはひどすぎたのであれと同じようにやれとは言いませんが、「森さんなら辞任するまで叩く。本多さんは撤回しているし不問にしましょう」では単に好き嫌いの話。なぜ森問題で騒いだ人たちは黙るのか。

 

本多議員の発言が看過できないのは、実際にパパ活というオブラートに包んだ名の少女売春が社会問題になっているから。需要があるから供給がある、それでいいよね…としないようにするのが私たち親世代のつとめであるはずなのに、同世代の議員からこういう発言が出てしまい、さして問題視されないこの結末に、暗澹たる思いがするのです。