ウィーンを初めて訪れたのは1989年の卒業旅行。88年の夏のイギリスのホームステイで一緒に過ごした、7つ下のコーネリアに会うために旅程に組み入れたのです(彼女の姓が思い出せないのでFBで探せない。結婚しているだろうが)。

旅先で自分のものは滅多に買わないのだが、帰国してからの謝恩会につけるため現地でラインストーンのイヤリングを買いました(写真)。ガラスのアクセサリーはチェコやオーストリアが本場だと先入観があったので…当時は50年代からのコスチューム・ジュエリーの名残りなのかデパートの1階には必ずガラスと合金の、安価できらびやかなアクセサリーが置いてあったものです。立ち寄ったウィーンのアクセサリー店にも壁いっぱいに無色ガラスのイヤリングが並んでいて、その中からフリンジが揺れ、20年代を思わせるこのデザインが気に入りました。これをつけて、横浜元町スミノ(現在はカジュアル一辺倒)で選んだ濃い紫のパーティドレスで謝恩会に出たんですよ…バブルだったなあ。というか、昭和の文化でしたね。

 

謝恩会では幹事を務めたので、会場は自分がアルバイトをしていたホテルセンチュリーハイアット(現ハイアットリージェンシー)を会場に使いました。

年明けに昭和天皇の崩御があったが、ロビーのシンボルである3つの巨大なシャンデリアが、”掃除の為”その数日前に床に下ろされていたのが今でも不思議。マネージャーが「偶然です!」と連呼していましたが。

私たちの謝恩会の数日前に学習院がセンチュリーハイアットを使って、その日もバイトしていたいそくみは、既にスクープされていたのだろう、川嶋紀子嬢(現秋篠宮妃)が同級生に花道を作られ、ホテルから渡された花束を抱え帰っていくのを見た。すごいなー、同級生という立場だったら早稲田ならやらないなと思った記憶が。

 

50代になってから同じオーストリア製のアンティークジュエリーのブローチ(右上)も手に入れたが、最近買った100年ものの骨董品より、30数年手元にあったガラスのイヤリングのほうが思い出が詰まっていて歴史を感じます。

 

まあこんな中途半端に派手なイヤリングをすることはもうなさそうだが、捨てられない。