中学時代に流行した小咄に「青い館の怪」というのがあった。

「通学路にお化け屋敷のような古びた青い館があり、皆から恐れられていた。部活で遅くなった帰り道、その家の前に不気味な白髪の老人が立ってこっちを見ている。足早に通り過ぎようとすると、老人が口を開いた、『あっ、おい、やあ、勝ったのかい?』―青い館の怪」

(知ってる人は同世代)

 

そんな話をほうふつとさせるような?青い洋館が、独身時代のマンションから豪徳寺までの道沿いにありました。一見してタダ物ではない。しかし表札を見ても思い当たる著名人の名前ではありません。

 

気になりながらはや20年を経た昨年の冬、夫が買ってきた「暮らしの手帖 1月号」で一気に謎が解明。黄色いページ「すてきなあなたに」のエッセイの中に「豪徳寺にある、元東京市長 憲法学者 尾崎行雄の西洋館」という解説があったのです。明治時代に麻布に建てた家を移築したのだという(他の文献によれば、尾崎夫人は英国人ハーフだった)。今の表札はたぶん移築した人の名前なのだろう。麻布につながっているのも何かのご縁ですね。

そのエッセイの筆者は、アパートとして賃貸ししていたここを借り、結婚生活を送り子どもを育てたという。賃貸していたのか、住んでみたかったなあ。

そのお子さんというのが長じて、今「世田谷ライフ」などにエッセイを書いているしまおまほさんだということも程なくわかった。素敵な環境で子育てすると、芸術的なお子さんが育つ!

 

見つけてから二十年、自分も結婚し引っ越し親になり、やっと「青い館の謎」が解明されたのだが、ネットには「老朽化が進み、取り壊しか?」との記載も。成城の山田邸のように見学&休憩カフェとして利活用できればよいが、耐震や維持管理の問題もあるでしょうし、現状どうなっているか気になるところです。

 

(追記)建築保存に詳しい関係者によれば、現在は所有者の管理下にあり具体的な取り壊し計画はない。躯体はしっかりしているが、利活用するには修繕が必要な箇所がある、ということでした。

この角度から見ると、旧海老名町役場(海老名市温故館、現存のはず)にも似ている。

地方都市でも役所はハイカラな建物が多かった。