日曜日、久々に母親の出身地、熊谷に行ってきました。
従兄の奥さんが亡くなったので。おとなしい人でほとんど口をきいたことがなく、素顔でいるのがきれい、というタイプの人。年齢を聞いたら1つ上だった。病気だったことも知りませんでした。
伯父の葬儀のときは伯父伯母が集まって賑やかになったけれど、いとこの代になったら自分が親や弟のぶんのお香典を携えて行く役割になった。人生思ったより回転がはやい。
結婚してからしばらく喪の支度は実家においていたが、友人の父上が亡くなったときに(これからは自分だけで行く弔事も増えるのだ)と喪服類を成城に持ってきてあり、一時間で支度完了です。
熊谷は新幹線が通ってから便利になったというが、湘南新宿ラインで1時間かけて行く。赤羽、桶川、鴻巣、行田…と、小学校の休みのたびに連れていかれた懐かしい駅名が続きます。
行田を過ぎたとき、最近では珍しいアドバルーンが見えた。
熊谷には八木橋という大きなローカル・デパートがあって、子供の頃そこのアドバルーンを見るたび(ああ熊谷は都会だなあ。海老名とは違うな)と思ったものです。
今ではアドバルーンがやや時代遅れに見えるし、住みたい町としては海老名が上位かも?
従兄の奥さんはずっと埼玉に居た人なので、お通夜から高校時代の友人たちが集まっていた。自分の時は高校の友達来てくれるのかなと、齢が近いのでどうしても自分にあてはめて考えてしまいます。今なにかあったら、遺影は選挙ポスターの写真になるかなあとか。
帰りは熊谷駅まで、社会人になっていた従兄の娘が車で送ってくれました。お別れもあれば、それをきっかけにつながる縁もある。
まだ若い人の死だけにやるせない葬儀でしたが、帰宅してからはなぜか、子供の頃の記憶そのままに空に浮かんでいたアドバルーンばかりが思い出されるのでした。