息子の冬休みの課題、世界で課題図書とレポートが出たそうだ。地理歴史の新書だが、それはもう絶版で、探すところから大変なんだって…

という話を年末の夜11時に聞き、母は速攻パソコンを開いて砧図書館のホームページにログイン、書籍検索を叩いた。

世田谷区で蔵書3冊。うち1冊は既に貸出中である。

(ちっ、いそくみよりアクション早い保護者(か学生)がいたか!)

予約して、息子には

「書籍、資料ってのは取り合いなの。自分が思いついたときには既に他の人も動いてる!」

と講釈をたれた。将来的にはコンサートチケットもね…

私の名義で借り、課題も書き上がったようなので本はどうしたか聞いたら

「本が見つからなくて困ってる友達に貸した。週明けに返してくれるから返却日に間に合うよ」

…ああ、私の子だなあと思った(夫なら、貸さない)。そして週末でやっつけ仕事で書いた友達のほうがレポートの評価が高い、という結末になったりするんだよ。

 

 それはさておき、いそくみがこのように資料探しに燃えるのは、ひとえに英文科という専門科目のなせる業でしょう。課題の原文が示されたらまず、訳本探しに血道を上げる。それをわかっているから教授もニッチな作品を課題にしたりします。

今でも憶えているのはロバート・ボルトの「A Man for All Seasons」(全ての季節の男)。友達3人と、国会図書館まで行って古~い訳本を見つけ、一枚35円という学生には法外なお値段のコピーをとって、後日大学近くの7円コピーで数を増やしナンピンしたんだったかな?

レポート提出し終わってから、地元海老名図書館で、「花咲くチェリー、他ロバートボルト作品集」という新しい本の中に同訳を見つけました(タイトルで探していては見つからないという好例)。

青い鳥は地元に。策士、策に溺れた思い出です。

 

ロバート・ボルトの作品内容は全く憶えていないが、あの時訳本を探し回った思い出、その時一緒にいた仲間のことはよく憶えている。

勉強なんてそんなものか?結末も過程も、友達も大切に…

砧図書館のデスクに彫られた志望校の数々。やることが昭和と変わらないね?行政書士も書いていいですか