下田の名物だというなまこ壁の、開国博物館。土産物店にローカル出版の歴史書物も充実。

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翌日。朝風呂に入ってボリューム満点の朝食をとり、身支度をして部屋を出ると“今通りかかりました”感じで担当の仲居さんが来て見送ってくれる。きっと医学研究室の外で張ってる製薬会社の営業のように、計算されたマニュアルなのだろう。支払いを済ませてまた彼女が出口に追いついてくれ、家族写真を撮ってもらって車に乗りました。

伊東を出て、さあどこへ行こう?男2人はアールヌーヴォー美術館などは嫌いなので、敢えてマイナーな施設に行ってみよう・・・宿に置いてあったパンフ「下田開国博物館」に息子が興味を示しました。

受験生にとって「黒船→ペリー→浦賀→日米和親条約→下田開港」は必須のワンセット。でも下田までそうそう行かないよね?

下田市までえんえん湾岸を走る。沿道にいくつも廃墟になったホテルが見える・・・リニューアルして保育園に出来そうだが、この辺は待機児童もいなそうだ。

 

2時間ほどかかって着いた下田は、予想通り“歴史の舞台となった街だが今はひっそり”感のあるところでした。観光資源はあるのに整備されていない。それでも学生らしきグループがちらほら歩いているのは、「日本史でやった下田でも行ってみようか~」の輩でしょう。教育の影響は大きい。

下田開国博物館もそこそこに混んでいました。学生来場者が多いのか、館内に答えがある歴史クイズも備えてある。

 1Fはジオラマが主だが、2Fは歴史資料は豊富にあって、ペリーご一行と「唐人お吉」がフューチャーされています。唐人お吉、自分の中ではモルガンお雪と混同していて、総領事ーの病気の看護をし、寵愛されて羽振りがよくなった美人芸者だと思っていたが、ここ下田開国博物館ではウィキとは異なるストーリーが展開されていました。

お吉はじめ、15-18歳の芸者たちが、幕府の命で領事館の駐在員の夜の相手に遣わされたと書いてある。お吉の勤務は3日だけだったとも。

本当なら、下田の市民団体はアメリカ大使館の前に少女像、な話です。

(長くなったので続く)