訪問調査活動の途中で掲示を発見した
世田谷文学館「都市から郊外へー1930年代の東京」展。
ぜひ行きたいとは思ったが、首都圏近郊の美術館はあらかた行きつくしたいそくみも、世田谷文学館は未踏の地。
どこにあるのかと思ったらこれは芦花公園駅が最寄だという。
芦花公園は京王線沿線であるせいか、世田谷といってもずいぶん遠くに感じる。芦花恒春園に至っては北京近郊の趣きです。
しかし世田谷区をつぶさに回る市場調査、世田谷文学館は訪問先事業者の隣接地、芦花公園駅からは歩いて5分のところにあるとわかりました。
で、早速行ってきた。好みはあると思いますが、良かったです・・・展示も、文学館も。
美術系よりは建築系向き、雑誌なら「東京人」愛読者なら好きでしょう。
郊外すなわち世田谷の変遷を追っているご当地展なのですが、
世田谷は東京の中でも田舎で、歴史が始まるのは大正以降。
文京区や港区とちがって、明治期の小説にはまず出てきません。
緑が多く環境が良かったためか、大正以降に多くの文化人が移り住み、林芙美子、北原白秋らの著作に世田谷が描かれている抜き書きが展示されています。
(よく拾ったね。これはPC検索じゃ無理でしょう)
当時の写真、世田谷ゆかりの芸術家の作品、流行歌の視聴コーナーもあり。
東郷青児と宇野千代が転々としたのも世田谷区内。宇野千代が生活のために東郷青児の絵を売り歩いたのは有名ですが、成城アルプスの1Fにある青児の絵もその時のかなーと思ったり。
成城の古い住人ならご存知であろう、成城一丁目にあった野上弥生子邸の模型や写真も。この家はもともと三菱銀行のエライ人が建てた洋館に野上弥生子が転居、晩年まで過ごしたそうですが、野上の死後、故郷の大分に移築されている。
それってどうなの?その家はあくまで成城についてるものであって、野上弥生子についてるものではないと思いますが・・・そこは世田谷の土地事情、再開発のプレッシャーで、建物を移築するしか保存方法がなかったのかもしれません(あくまで想像です)。
世田谷文学館の外観は青いメタリックなガラス張りでいまいちでしたが、ロビーから外を眺める景色は良かった。コンセプトに品川の原美術館に似たモダニズムを感じました。うららかな陽射しの日より、雨の日にひとりで訪れ、長居したい美術館です。
4月8日まで。