タマゴが先かニワトリが先かどちらが先か決着をつけてみましょう。
・結論から言うと一意的に決まります。ただし、どちらが先かはタマゴの定義の仕方によって決まります。

最初に、この文章の前提を見てみましょう。
・タマゴはニワトリが産みます。つまり、タマゴの存在の原因はニワトリです。
・ニワトリはタマゴから生まれます。つまり、ニワトリの存在の原因はタマゴです。
この2つを組み合わせると、ニワトリが存在するのは、ニワトリがいるからだということになります(或いは、タマゴが存在するのは、タマゴがあるからだ)。
結局「タマゴが先かニワトリが先か」の論点は、自分自身を存在理由にしているものが現に存在しているということです

では、こんな推論はどうでしょうか。
・ニワトリが存在するのは進化の結果だ。
・生物がニワトリに進化する以前から、魚類はタマゴを産んでいた。
・故に、タマゴが先である
しかし、これは問題の本質を射ていないことはお分かりでしょう。つまり、この問いが成立するためには、タマゴがニワトリのタマゴでなくてはならないのです。

では、ニワトリのタマゴとはどのように定義されるのでしょうか。

[1]ニワトリが産んだタマゴ
・この場合はニワトリが先です。
ここでのタマゴは定義に従って、進化の過程でニワトリという生物が現れてそれが産んだタマゴということになります。
従って、ニワトリが先です。

[2]ニワトリの生まれてくるタマゴ
・この場合はタマゴが先です。ここでは定義に従って、進化の過程であるタマゴが産み落とされそこからニワトリが現れた、ということになります。
従って、タマゴが先です。

結局、タマゴが先かニワトリが先かというのはタマゴの定義が曖昧なまま議論されるが故に、循環論に陥ってしまっているのです。