第十一章「新しい東アジア秩序の可能性」 | ひとときのときのひと

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外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。
だいたい毎日。



まずは英語から。

 

日本研究の第一人者であるケネス・B・パイル氏。数多くある彼の著書の中でも、「Japan Rising」は、「日本の高揚」といったタイトルが付いているのに邦訳が出版されていません。

 

 なぜ未邦訳となってしまったのか。

 

 その謎を探るため、既に紹介した第一章から第十章に続きここでは、第十一章「新しい東アジア秩序の可能性」を翻訳・要約し以下に共有します。

 2006年初版の本書も、残すところ、この第十一章とエピローグとなりました。

 

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0.東アジアの秩序

 2011年の911テロ発生後、米国の外交方針は一変した。従来の方法では防げなかったテロ攻撃の脅威にどう対応するか。大規模な戦略変更始まったのだ。

 

 それに伴い、ブッシュ政権は、日本のさらなる米軍に対する協力・協働を求めた。その一方で中国の台頭もあり、東アジアにおける今後は容易に見通せないが、未解決の朝鮮半島について考える必要がある。

 

1.「旋回」的役割を果たす朝鮮半島の未来

 朝鮮半島統一が実現されたと場合には、日本における米軍の去就が焦点となるだろう。が、日本は駐留継続を求めるだろう。

 

 また、この統一は、北朝鮮の崩壊等によってもあり得るが、日本にとっては政治的経済的にも新たなライバル登場となり、あるいは安全保障上の脅威が生じることになる。だから、日本の多くの政治家は現状継続を望むのだ。

 

 統一朝鮮が米軍の駐留継続を望まないシナリオが考えられる一方、米中の思惑が一致すれば駐留継続も考えられる。

 

 とはいえ、日本としてはその統一朝鮮が核保有国でないことが重要になる。さもなければ、日本に対する脅威となるし、核開発を選択するかの大きな瀬戸際に追い込まれるからだ。

 

2.多極的アジアにおけるバランサーとしての米国

 東アジアにおける米軍駐留が実質的に縮小される場合、そこには多極的なアジアが誕生し、日本は戦略的地位を再考しなければならなくなる。

 

 米国に代わって中国に安全保障を委ねることも考えられるし、核保有も含めた新しい選択も考えられる。

 

 とはいえ、米国は東アジアにおける国益を守るために、たとえば、東アジアに独自の経済圏ができたとしても、それを容易には認めないだろう。

 

 また、台頭する中国が東アジアで主導権を握ることを予想すると、米国は従来からの「摂政」的な立場で東アジアにおける新秩序を構築することとなる。

 

3.日米同盟の将来

 当初は日本に対する押し付け的な性格であった日米同盟も、朝鮮統一などを含む東アジアの多極化やテロの脅威を受け、変化し始めている。

 

 過去においては日米同盟は、日本の軍拡をおさえる「ビンのふた」であるとの米軍高官の発言があったかと思えば、米軍を「日本の番犬」であるとする日本の政治家の発言もあった。

 

 が、いずれにせよ、日米同盟は変化していかざるを得ないし、日本は自由主義を守るため、より積極的な活動が求められている。たとえば集団的自衛権や国連平和維持活動への参加である。

 

 あるいは「Show the flag(旗色を鮮明にしろ)」や「Boots on the ground (観客になるな、試合に出ろ)」といった米国側からの要求もある。

 

 しかし、「このような要求通りにはしたくない」と日本の保守政治家は考えている。同盟関係の変化は、外交上のみならず、内政にも影響をもたらすからである。

 

 日米同盟に代替する枠組みが存在しないことは自明だが、その一方、自由主義など米国流価値観の押し付けに対する嫌悪があるのも事実である。

 

 また、広島・長崎の原爆投下に関しての米国の謝罪がないとか、毛沢東主義による中国国内での犯罪に関して調査が行なわれていないといった理由付けで日本の戦争犯罪追及をかわそうとの動きも存在する。

 

4.エリート政治の性格変容

 冷戦後の日本の変化を担う指導者は、小沢一郎であるかに思われたが、その後、小泉信一郎が首相となりすべてが変わった。

 

 第一にこの「聖域なき改革」を掲げた彼の出現により、戦中、戦後において日本の外交に関してエリート主導だった政治が大きく変化した。選挙民はこのポピュリスト、小泉の改革宣言に魅了されていったのである。

 

 第二に選挙制度改革によって政策論争に選挙民の目が行き届くことになった。これにより、政治家と官僚の力関係も変わってきた。激動する世界で日本がこっそり隠れていたような過去には戻れず、官僚ではなくプロの政治家に新しい指針が求められている。

 

 第三に令和の時代が到来したことも変化を呼び込んでいる。小泉内閣では田中真紀子をはじめとする5人もの女性閣僚が出現した。このような「平成に円熟期を迎える政治家」は、戦争の記憶や罪悪感からも縁遠い。

 

 このようないわば「平成ジェネレーション」は、留学経験もあり、国際化や技術変化にも対応できている。就学後から自由や民主主義を学んでもいる。(とはいっても、多分に日本の「和」を尊重する素地も残ってはいるが)

 

 もちろん、このような「平成ジェネレーション」指導者の多くはいわゆる2世、3世議員である。したがって、彼らも実質的には保守的であるし、また、新しい国家目標を掲げているわけではない。

 

 しかし、必要なのは、新しい国家目標を掲げ、これを国際秩序にどのような適合させていくかなのである。