ひとときのときのひと

ひとときのときのひと

広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。


まずは英語について。英語に関する本について。

 シニア対象のピアノコンテストにいままでエントリーしたいと思ったことはない――というと嘘になります。正確に言えば、「出てみようかな」と思ったことはある。しかし、そのたびに、どこかで引っかかっていたのです。

 

 一番大きい理由は、そもそもプロの世界でさえ、音楽に点数を付けることへの違和感が絶えず語られているからです。もちろん、コンクールそのものを否定するつもりはありません。単なる「お祭り」と割り切ればいいではないか、という考え方もあるでしょう。締切があるから練習する。人前を意識するから集中する。他人の演奏を聴く機会にもなる。そういう効用は確かにある。

 

 しかし、その一方で、本来「空気」のような、この音楽という目に見えないものを、点数や順位、階級に変換できるのだろうか、していいのだろうかとも思うのです。

 

 昔、こっぴどく振られたとき、「君の好みに合わせて店を選ばされるくらいなら、猫と静かにひとりで飯を食っている方がましだ」と思ったことがあります。さすがに口には出しませんでしたが。

 

 つまり、ピアノも、どこかそれに似ています。近くにいる人にどう受けるかを考えながら弾くよりも弾くよりも、猫しかいない部屋で、ひとり静かに弾いている方が、よほど音楽なのではないか。

 

 プロは市場の中で評価され、順位づけされ、稼がなければ生きていけない。だから、いくらでも「受け」を考えればいい。しかし、アマチュアピアニストには、プロが味わえない「至高の自由」がある。誰にも褒められもせず、誰にも批評されもせず、ただただ弾く「至高の自由」が。

 

 ところが、そんな考えの私に、縁者の中から間接的に「このコンクールに出てみたら」という声がかかりました。少し迷ったものの、その縁者が喜ぶなら悪くないかもしれないと思い、エントリーしてみたのです。予選は動画審査でした。締切日は数日後。急いで曲を決め、演奏を録画し、アップロードしました。

 

 数日後、メールが返ってきました。「残念ながら予選を通過しませんでした」。残念な気持ちはほとんどありませんでした。強がりでも、負け惜しみでもありません。

 

 実は私は、昔、文章のコンテストに関わったことがあります。応募者側ではなく、下読み側としてです。数千本集まった作品の中から、審査員に見せる数十本を選ぶ役回りでした。そこでわかったことといえば、応募作品の大半が、驚くほど似ているという現実でした。似たような言い回し、似たような感動、似たようなオチが大量に並ぶ。中には改行さえろくにしていない「作品以前」のものもある。だから、自分の演奏もそのたぐいだったのかもしれない。

 

 さらに仮に予選通過した後の世界も意外性に満ちている。審査員たちが候補作を読みながら、あれこれ議論する場にいた経験からすると、そこには、つまり審査員の間には、微妙な上下関係がある。忖度といってもいい。そんな中で選ばれることが本当に幸せなことだろうか。しかも、アマチュアなのになぜ、そこまで人の評価にこだわるのか?

 

 もちろん、音楽と文章は違います。しかし、こうした経験を思い出すにつれ、「落ちた」という事実そのものが、それほど重く感じられない。

 

 実は近々、「誰も音楽を聴いていない――ママはなぜぼくにピアノをやらせたの?」という電子書籍を出そうと思っています。そこでは、ピアノ(や英語)をめぐる、日本人特有の反応についても書くつもりです。たとえばこんな言葉です。

 

クラシックですか、ジャズですか。

幻想即興曲、弾けますか。

コンクール何位でしたか。

TOEIC何点ですか。

英検1級、何回受験で取ったんですか。

 

 社交上のリトマス試験紙としては便利な言葉かもしれない。しかし、こういったやり取りの中で、音楽(や英語)における最も肝心な部分が、いつの間にか薄くなってしまってはいないか。

 

 たとえば、クラシックピアノのレッスンで「この音をもっとふくらませて」といった言葉を聞くたび、戸惑います。というのも、ピアノの音は鍵盤を押し下げた後は音量の減衰しかなく、膨らませることなどできはしない。もちろん、比喩として語っているのでしょう。そんなイメージで弾けということなのでしょう。しかし、こういった「魔術的」言説が、いつの間にかクラシック村の合言葉のようになってはいないか。

 

 あるいは、「深い演奏でした」という決まり文句も肌触りが決してよくはない。そのとき本当に聴いているのは、いま鳴っている音なのか。それとも、「自分だけはわかった」と誇りたくて言っているのではないか。

 

 ジャンルを問わず、コンサートホールが、ときとして「同じ幻想を持つ村人の寄り合い、慰め合い」のように見えることがあります。そうした「場」の楽しさを全否定するつもりはありません。だれだって、お菓子くらい食べます。しかし、いつもそればかりでは音楽がやせてしまいます。

 

 最近は、演奏そのものより、「感動している自分」を見せあいっこしているような光景が悪目立ちしている。ハンディキャップを持つ演奏家への大げさな賛辞。「発掘された」芸術家への「感動をありがとう」式の熱狂。もちろん、いずれについても演奏家に対する敬意そのものを否定する気はありません。しかし、現実に「耳の聞こえない作曲家」に公共放送も第一線の音楽家もみな騙されていたという事件が発生したのも事実。こういった熱狂の空気圧が高くなれば高くなるほど、音楽ってやつは「物語というジャイアン」のパシリにされてしまうのに。

 

 いま、「音楽」は、いたるところに溢れています。しかし、「音」のある時間と空間を体の底から感じている人は、どれほどいるのでしょうか。「誰も音楽を聴いていない」と言いたくなるのは、そのためです。

 自分は、わざと「資格なんか役立ちます」という題名を掲げています。世間でよく聞く「資格なんか役に立たない」という決まり文句への、半分皮肉を込めた言い方です。ここでは、FP資格(かつてはCFP(R)、現在は1級FP技能士)と英検1級の両方を取得した立場から、ひとつのことを申し上げたいと思います。

 

 それは、「保険加入」と「英語学習」は、驚くほど似ている、ということです。もっと言えば、どちらも「目的」を見失った瞬間、終わらなくなる。しかも、本人は努力しているつもりなので、なかなかそのことに気付けません。生命保険で考えてみましょう。

 

 保険というものは、本来、「必要保障額」を考えるところから始まります。つまり、自分に万が一があったとき、残された家族にどれだけのお金が必要か、という計算です。ここに「なんとなく」が入り込む。子供はやはり私立に。習い事も減らしたくない。旅行も必要だろう。家も維持しないと。できれば老後資金も…。そんな風に「あれもこれも」を積み上げていけば、必要保障額など、いくらでも膨らみます。当然、保険料も高くなる。

 

 その結果どうなるか。保険のために生活が苦しくなる。いわゆる「保険貧乏」です。しかし、本人は「家族のために頑張っている」と思っているから、疑わない。

 

 英語学習も、実によく似ています。アラフォー、アラフィフになって、「やり直し英語」を考え始める。そこで、「英語ができた方が人生が広がります」「外国人と自由に話せます」「世界が変わります」といった宣伝文句に、ふらふらと引き寄せられてしまう。もちろん、最近はオンライン英会話やAIを使っての英語学習など、昔より安く学べるようにはなりました。しかし、問題は価格ではありません。

 

 そもそも、なぜ英語をやるのか。そこが曖昧なまま、「なんとなく英語ができた方がカッコいい」「なんとなく不安」「なんとなく時代に取り残されそう」といった空気だけで始めると、終わりません。TOEICを受け続ける。英検を受け続ける。参考書を買い続ける。英会話学校に通い続ける。

 

 ところが、どこまで行っても達成感がない。当たり前です。目的がないのだから。保険も同じです。「万が一に備えて」と言われれば、なんとなく不安になる。しかし、人間、不安になろうと思えば、いくらでも不安になれます。病気。事故。介護。失業。災害。

 

 営業する側からすれば、そこを刺激するのは当然です。保険営業マンも、英会話学校も、商売なのですから。だから、「なんとなく不安」を刺激して、「なんとなく加入」「なんとなく受講」に持っていく。それ自体を責めるつもりはありません。営業とはそういうものだからです。

 

 しかし、だからこそ、こちら側が目的を持っていないと、際限がなくなる。ここが重要なのです。自分は約10年間、英語を使う仕事も担当していました。しかし、TOEICについては、900点目前で撤退を決めました。なぜか。

 

 それ以上続けても、自分にとっては、「点数を積み上げること」そのものが目的になり始めていたからです。だから方向を変えた。英検1級に1発合格した後も、さらに「正解が必ずある世界」から、「正解があるとは限らない世界」の英語へと舵を切りました。現実に前任者がてこずっていた、未解決の金銭問題を解決したことがあります。

 

 数年前には警備員英語という全く未開の地に電子書籍で普及をはかりました。具体的にはこの本です。

 

 

 

 つまり、資格試験を突破するためだけの英語ではなく、「他者とどう向き合うか」「何を読み、どう考え、どう反応するか」という方向へ、自分の関心が移っていったのです。そして今になると、つくづく思います。保険も英語も、「なんとなく」で始めると、そこには至れない。

 

 人は必ず死にます。使える時間も限られています。にもかかわらず、「なんとなく安心したい」「なんとなく向上したい」という気分だけは、もったいなさすぎます。

 自分がまだ「わかもの」と呼ばれていたころのことです。流行歌にはしばしば、「ほんとうの自分は――」などという歌詞が出てきました。今思い返すと、少し気恥ずかしくなります。あのころは、「自分探し」などという言葉も、どこか真面目な顔をして流通していました。

 

 そんな自分が、「オジン」と呼ばれる年齢を超えてしまったいま、朝比奈 秋の『サンショウウオの四十九日』を読んでみました。かなり強い興味と、同じくらい大きな違和感を覚えたので共有してみます。

 

 まず、前半は抜群に面白い。ほとんど身体を共有しているのに、「私」が二つ存在している結合双生児。そんな極端な設定を使って、「自己とは何か」「他者との境界とは何か」を、単なる哲学や観念ではなく、肉体そのものから押し出してくる力がある。ここは見事でした。

 

 しかも、この小説は単なる「奇形の見世物」話にはなっていません。身体を共有しているからこそ、二人の感覚や記憶や存在感覚が混線する。その「気持ち悪さ」が、単なるホラーではなく、「人間とは何か」という問いへつながっていく。

 

 しかし、読み進めるうちに、違和感が積み重なってきます。それは、この作品が「身体」を描いているようで、後半に向かうにつれて、「観念的な身体論」に落ち着いてしまうからです。たとえば主人公(たち)は、結合双生児であるがゆえの顔貌のゆがみや視線の不一致など、他者に強い印象を与える身体として描かれています。看護婦を志しても病院では結局受け入れられず、今はパン工場で工員として働いている。

 

 当然、「見られる身体」として生きていくときの、煩悶や反発、生き延びるための工夫があるはずです。特に二十代女性であれば、メイク、ファッション、ヘアスタイル――そうしたものは日常そのものです。にもかかわらず、この小説では、そういった部分が驚くほど描かれない。

 

 「プリクラに行こう」というセリフはある。しかし、そこに伴う「どう写るか」「どう盛るか」「そもそも写りたくない」といった期待や葛藤が、ほとんど出てこない。前半の振袖を選ぶ場面だけが悪目立ちしてしまっていて、そこだけやけに浮いてしまうっている。ここに、私は作者の「塗りムラ」を感じました。

 

 もちろん意図的にそうしたのかもしれません。若い女性の日常を細かく描くより、「自己とは何か」をより濃厚に描きたかったのだと想像します。服装や化粧を書き込みすぎると、この「自己とは何か」という主題にノイズが入る。そう考えたのかもしれません。

 

 しかし、結合双生児という素材は、本来、服装や化粧こそが「自己境界」の問題に直結する題材でもあるはずです。どこまで隠すのか。どこまで見せるのか。左右に分かれているとされる結合双生児が左右別々の服を着るのか、唇の右の色と左の色を塗り分けているのかどうなのか。そうした問題を描き飛ばしてしまうと、人物が「生活者」より、作者の「観念の運搬装置」に見えてしまうリスクがあります。

 

 さらに後半になると、葬式、認知症、死、自己内他者など、テーマが次々と投入されます。そして最後は、水中の藻やザリガニといった抽象イメージによって、「境界の溶解」を描こうとする。文学的意図は分かります。しかし、私はそこで、肉体性が急速に失われたと感じました。結局、「頭のいい人の観念」展開に付き合わされている感触が強くなってしまうのです。

 

 そもそも、人間は「意識が消える瞬間」を経験できません。眠りに落ちる瞬間ですら、「今、自分は眠る」と認識することは不可能です。ところが、この小説は結合双生児という設定を使い、その不可能性を突破しようとする。そこに私は、作者の「書きたいこと」が先走っている印象も受けました。

 

 そして、ここからは少し話を広げます。結局、日本の近代文学は、「自己とは何か」の周囲を、ずっと回り続けているのではないでしょうか。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。しかし、『闇の奥』や『白鯨』のように、文明や歴史や巨大な暴力と格闘する小説が、日本ではなぜこんなにも少ないのか。

 

 たとえば三島由紀夫の『金閣寺』は、「美」と「戦後日本」を真正面から扱っていました。深沢七郎の『楢山節考』には、近代自我以前の、飢えと死と共同体の残酷さが露わにされています。大江健三郎『芽むしり仔撃ち』にも、「私って何?」を超えて、人間が世界や共同体と衝突するときの地鳴りのような感触があります。

 

 『サンショウウオの四十九日』も、前半にはその可能性が確かにあった。結合双生児という素材は、近代自我文学を飛び越える力を持っていたと思うのです。しかし後半になると、結局また、「僕って何?」という、日本純文学おなじみの旋回へ戻ってしまった。せっかく肉体から出発したのに、最後はまた「自己」という安全地帯へ戻ってしまう。そのあたりに、日本近代文学百年の悪癖のようなものが透けて見えてしまいます。

 

 森鴎外以来、医者の書く小説にはどこか甘い自分が、ここではずいぶんとがっかりさせられてしまったことは、書き留めておこうと思います。

 

 

 父の遺品の中でも、最も始末のつけようのないものがひとつだけありました。小説です。文章がうまいとは言えませんし、三人称で書いてはいるものの、主人公の視点からほとんど離れない。いかにも素人らしい書き方の小説です。

 

 ところが、いまだにこの小説から逃れられない日々が続いています。いわゆる成功物語ではありませんし、懺悔や後悔に満ちた手記でもない。読めば読むほど、何を読まされたのかがわからなくなる類の物語です。

 

 先の戦争、それも末期の物語につきものの、空襲や憲兵、学徒動員などは出てきます。しかし、それらが背景でしかない。

 

 むしろ、ひとりの高校生(父の分身)が、頼まれてもいないのに、奉公先で身ごもってしまった女中を助けようとして、それが止まらなくなっていく。最初は素朴な善意のように見えるものの、別の妙な力に引きずられているようにも見える。恋愛と呼ぶにはあまりにも歪んでいて、偏愛のような、変愛のような。そうした説明のつかない辺境に読み手は置き去りにされます。

 

 言い換えればこの小説には、なまなか説明しきれない、黒々とした塊のようなものがあり、それが鈍い光を放ちながら、いまだに私を放そうとしないのです。おそらくどんな読者もそう感じるものと推測します。そこで、考えたことがあります。

 

 もしかすると、この小説の醸し出す異様さは日本語の中に置いておく限り、ほどけないのではないか。同じ言葉の中で読み、同じ前提の中で考え続けている限り、同じところを回り続けるだけではないか。この頃、そう考えるようになりました。

 

 とすると、いっそ外に出してみるしかないのではないか。ガラスの小瓶に手紙を入れて海に流すように。

 

 どこに流れ着くのかはわからないし、拾ってくれるのかふたを開けて読んでくれるのか、全く予想がつかない。それでも、まったく別の前提を持った誰かの目に触れたとき、思いもよらない読みが生まれる可能性はあるかもしれない。

 

 父はかつて、「歴史に爪痕を残したい」と口にしていました。まさに無名の人間らしい言葉です。そこで、こう考えるに至りました。今の時代であれば、大海よりも広大な電子空間の片隅に、わずかな痕跡を残すことはできるのではないか、と。

 

 さらに、自分がこれまで英語を学んできたことの意味は、この「電子空間への小瓶流し」でこそ試されるのではないか。正解にこだわるのではなく、ひとつの問いかけとして、思い切り遠くまで流してみたい。

 

 すでに着手を始めました。もしこの投稿に「いいね!」が、50以上集まれば、「父の小説電子空間漂流記」をこの場で共有することにします。

 何年も前に処分したと思っていた本が、ひょんなところで見つかって、ちょっと驚かされました。その本は、松原惇子が1980年代後半、つまりバブル期にさしかかるころに書いた「英語できます」。

 

 松原自身は米国留学をしたものの、英語でのキャリア開発や追求をしてはいません。その松原がじぶんと同年代の女性たちの英語を「武器」にして着々と成功している有様や、試行錯誤を続けている姿を生々しく描いています。そんな女性たちはいまやアラカン世代と思います。

 

 本ブログ筆者はこの文庫本に初めて目を通した時、30代に差し掛かろうとしていたものの、広告業界に身を置いていたので、一種の別世界をのぞき込む面白さを感じました。しかし、アラカン半ばまで英語を使って仕事をした経験を踏まえながら、この本再読してみると英語ができると、人生が好転するのかしないのか、最後まで筆致が曖昧なままと感じさせられました。

 

 実は、自分が英語屋になった最初は拍子抜けするほど大したことのない出来事でした。40代後半のころです。若手社員から内線が回ってきました。「すみません、英語で何を言っているのかわからないので、出てもらえませんか?」。

 

 電話の相手はオーストラリア人。当時在籍していた広告会社に転職してきたAさんが、かつての赴任先で親しくしていた相手からの連絡でした。Aさんは会議中。自分が代わって話し、取り次いだ。それだけの話です。

 

 しかし、そのとき妙な違和感が残りました。英語は使っている。しかし、何も動いていない。動かせていない。その事実の方が気になったのです。

 

 要するに、「英語できます」と「仕事できます」は別物ではないか――そう感じたのです。この違和感は、もっと若いころに聞いたある言葉とも重なります。テニススクールで知り合った通訳の女性がこう言いました。「英語だけじゃだめよ。英語プラス専門性がないと」当時は半分聞き流していました。しかし、いま振り返ると、この一言はずいぶんと正確でした。英語はあくまで道具であって、それ自体が価値を生むわけではない。どこで、何を動かすのかが伴わなければ、宙に浮く。

 

 この構造は、いまでもほとんど変わっていないように見えます。英語ができることは武器になると同時に、それだけではどうにもならない現実もある――そういう揺れが、どこか繰り返されている。英語ができることに意味があるのではなく、英語を使って「対等にやりあえる位置」に移ることに意味がある。ここを取り違えると、「英語できます」で止まってしまう。

 

 もっとも、自分の場合は意外と早く「対等にやりあえる位置」につくことができました。仕事の受注者ではなく、発注者の側にいたからです。しかも、そこで教科書的英語の世界では経験できないプロセスも通過することとなりました。

 

 たとえば、委託した企業、つまり外国人サイドがちょっとしたミスにもかかわらず、謝る場面に遭遇したのです。場面によっては、こちらが戸惑うほど低く出る。謝ることをいとわない。

 

 さらに経験を重ねるうちにもっと他のノウハウも自然と身に付いていきました。単に「お願いします」で終わらせず、必ず期限を明示する。あるいは、メールを受けたら必ず、すぐに「読んだ」と返す。ただし、それで終わらせない。社内調整が必要な場合は、「明後日までに返信する」といったん返しておいて、上司への報告相談のスピードをいち早くおわらぜ、実際には一日早く返す。

 

 仮に相手がエクセルなどの添付忘れしてメール送信してきていても、CCで相手の上司や同僚が見つめていることを踏まえて、相手のプライドを気づ付けないように添付してのメール再送を促す。

 

 こういった細かいやりとりの積み重ねでしか、人は動かないのです。仕事は回っていかないのです。

 

 ところが、どうも仕事が思うように回せない人ほど、純粋英語の世界に活路を求めようとする傾向があります。

 

 英語の試験では点が取れる。会話もできる。その世界では「できる側」に回れる。しかし、仕事の現場ではどうか。判断が遅い。調整ができない。相手を動かせない。

 

 資格試験では点が取れる。しかし現場を動かせない。このズレを埋めない限り、英語は武器にならない。やれTOEICでいつの試験が難しかった云々、あるいは英検1級に合格してもいつかは再受験してみたいなどとおっしゃる。しかし、それらは、いったい何のための英語なのですかと問いかけたくなります。

 

 「英語できます」で止まってしまう英語人になるか、「英語で仕事できます」と堂々と言える日本人になるか。本ブログ筆者は、自らの経験から後者をおすすめします。それが、危機に瀕しているいまの日本を救うことにまでもつながると信じます。