クロフネが引退した。外国産馬へのダービー開放元年となった昨年、あたかも登場する時代を見計らっていたかのように現れ、僅か1年という短い期間でターフを去っていった。最大の使命であったダービー出走も、直前のNHKマイルカップを制しGⅠホースとして臨んだことで、既に引退していたアグネスタキオンの抜けた穴を見事にふさいでみせた。だが、クロフネはこれで終わるような馬ではなかった。

秋。陣営は、天皇賞出走が絶望的と判明するや否や、急遽武蔵野ステークス(ダート1600M)にクロフネを出走させた。この挑戦的な姿勢がクロフネの潜在能力を開花させることとなる。初のダート戦となるこのGⅢを9馬身差で圧勝。その勝ち方は府中の長い直線が待ち構える中、最終コーナー手前で先頭に立ち、そのまま突き放すという圧巻の内容だった。タイムは1.33.3。これは自身が同距離のNHKマイルカップ(芝)で記録した1.33.0に僅かコンマ3秒及ばないだけのものだった。これほどのダート適性を披露されては、次走は当然ジャパンカップダート。そこでもクロフネは世界の強豪が集う国際GⅠでも武蔵野Sと同様の戦法で早めに先頭に立ち、後続を7馬身引き離してしまった。

ダービーまでももちろん強さを見せてはいたが、“ダービー開放元年に登場したマル外の大物”という話題性で注目を浴びることが多かったのも事実だ。しかし秋のクロフネは、自身の実力のみで多くのファンを魅了した。クロフネの真の“来襲”は、活躍の場を芝からダートへと移したときのことだろう。それこそ異国の馬が異次元の競馬を我々に見せつけているようであった。短い期間ではあったが、その名に恥じぬ成績は残せたと言えるだろう。

クロフネほど海外での走りを期待させる馬は、これまでにいなかったのではないだろうか。また、これ以後もそう簡単には現れないだろう。海外遠征の夢が潰(つい)えたことは何とも残念だ。しかしこれも受け止めなければならない現実である。私が最も願うのは、クロフネの競馬によってジャパンカップがより一層レベルアップすることである。ジャパンカップダートのクロフネの走りを目の当たりにした海外ホースマン達が、日本競馬のレベルアップを認め積極的に日本に遠征してくれるようになったら、それはクロフネによる功績の賜物だろう。