ぼくは 9.11 でアメリカの友人を失った。
いや、彼らの生命ではなく、彼らとの友情を。
センセーショナルに煽り立てるつもりはないのだけれど、個人的に、この事件を機にぼくの世界観や人生観は大きく変わった。
ちょっと考えてみて。
普通に考えておかしいから。
でもぼくらはその〝普通〟がすり替えられいることに気づかない。
彼らは言う。おかしいのはオマエの頭だと。
It’s time to wake up.
【鉄鋼の耐火性能】
2005年
ウィンザー・タワー(スペイン、マドリッド)
地上29階、地下3階、高さ106メートル
消火に要した時間24時間
Windsor Tower (Madrid/Spain ‘05)
2009年
中央電視台電視文化センター(中国・北京)
地上30階、高さ159メートル
消火に要した時間6時間
Beijing Television Cultural Center (Beijing/China ‘09)
2017年
グレンフェル・タワー(イギリス・ロンドン)
地上24階、高さ64メートル
消火に要した時間60時間
Grenfell Tower (London/UK ‘17)
高層ビル火災は世界各地で発生しているけれど、消火作業は極めて困難で、鎮火まで24時間以上掛かるケースも珍しくない。
北京の電視台文化センターは不幸中の幸いで、建設中建物であったため、火災の規模に比して消火は比較的早かった。それでも6時間掛かっている。
高層ビルは当然、分厚く頑丈な鉄鋼で建てられる。火災による熱に長時間晒されても骨組みだけはしっかり残っていることが多く、そのことは想像に難くないはず。
To be fair, じゃ、火災で建物全体が倒壊することはないのかというと、ないワケではない。
2018年にブラジルのサンパウロで起きた地上24階建ての廃墟ビル火災は、火災発生後わずか数時間で建物全体が倒壊している。
ただ、下の写真を見て判るように、骨組みは軽量鉄骨を思わせるようなチープなつくりであったようで、その上、廃墟であったにもかかわらず、約15年にわたって貧困層が不法占拠していて、防火対策などは一切なされていなかったようだ。火災発生当時、150世帯400人ほどが暮らしていたらしく、結果的に大勢の犠牲者を出した。
(Saõ Paulo/Brazil ‘18)
世界各地で発生した高層ビル火災を調べてみると、サンパウロの例は非常に珍しいケースで、ほかに建物全体が倒壊したという例は見当たらなかった。
さて、飛行機が衝突した世界貿易センタービル(以下、「WTC」)はどうだろうか。
ジェット燃料云々と云われているけれど、そもそもジェット燃料の原料はケロシン、つまり灯油である。ジェット燃料が燃えているときの温度は高くても 980℃ で、鉄鋼の融点は 1,500〜2,800℃ だそうだ。このことについては 〝molten metal wtc〟で検索すればたくさんの記事や動画が出てくる。
【パンケーキクラッシュ】
417メートルのこの高層タワーを建設するに当たって、当然、航空機の衝突は設計段階で想定されていたと云う。
ちょうど網戸に鉛筆を突き刺すような原理で、無数に張り巡らされた鉄鋼が衝撃を分散吸収するようになっていたとか。
その実際の設計図や概略図を、あるヨーロッパの調査グループが公開していた画像があったのだが、今はもう検索しても出てこなくなっている。
ぼくの記憶では、航空機がビルに衝突している絵が記載された図であった。
建設中のWTC
【WTC7の崩壊】
決定的におかしいのがWTC7である。
公式発表では、ツインタワーWTC1と2の崩壊の衝撃でWTC7が倒壊したことになっているけど、これはどうしたってムリがある。
WTC7は直接何も衝突していなし、そもそもツインタワーとの間にはWTC5と6がある。それらは崩壊していない。WTC4も同様、崩壊していないのである。WTC4、5、6は低層ではあったが。
ツインタワーが崩落するとき、WTC7がどんな状態であったのか、冒頭の写真で確認してほしい。
おかしな点、矛盾点を挙げると枚挙にいとまがない。WTCだけでなく、ペンタゴンにも。
もちろん、それらに対する反論もたくさん出ている。でも、それらの根拠は多くは「人間がそんな恐ろしいことをするわけがない」とか「そんな大規模な計画をリークせずに実行できるわけがない」とか。
でも本当にそうだろうか。ぼくらの盲点はいくらでもある。第1次、第2次世界大戦がどんなキッカケで始まったのか調べてほしい。ナチスがどうやってドイツ国民を洗脳していったのかを調べてみてほしい。
ぼくら人間はとても脆く流されやすいのである。
ぼくら庶民を揺り動かすのはいつも正義だとか美談だとかドラマである。
喩えとしては解りづらいかもしれないけど、奴隷の鎖自慢と同じだと思う。
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢を始める。
どちらの鎖が光っていて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じ鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
このアミリ・バラカ(旧名リロイ・ジョーンズ)の言葉は言い得て妙、ぼくらの心理作用を巧く表現していると思う。
絶対的、普遍的な正義というものはあるのだろうか。
あくまで個人的な印象だけど、ヨーロッパでは 9.11 について「あれは自作自演だ」と認識している人は少なくないと思う。かく言うぼくも、実は初めは報道どおりのアルカイダのテロ攻撃だと信じて疑わなかった。
ところが、ヨーロッパでは何人もの人に「本気でテロだったと思っているの?」と笑われたことがあった。それがこのことについて調べるキッカケとなった。
アメリカでは盲目的に愛国心からテロだと信じて疑わない人が多い気がする。ぼくの友人もそうだ。
ただ、その内の一人はイラクで実際に戦ってきているから、ぼくがこういうことを言って怒るのも無理もない。
でも、言ったことに対して後悔はしていない。
その一方で、アメリカには真相を追求しようとする人たちも少なくないようだ。
Chapman University HPより
カリフォルニア州にあるチャップマン大学の調べでは、「連邦政府は真実を語っているか」の問いに対し、9.11 に関してはケネディ暗殺を超えて半数以上のアメリカ国民が〝真実を語っていない〟と思っているとのこと。
日本は、どっちでもいいといった感じの人が多いと思う。無関心な人が。
知ること、殊に〝自分たちを知ること〟は人間に与えられた特権だと思う。
自作自演かテロ攻撃か、どっちであったとしても、18年前の今日、多くの人が灼熱と絶望の中に命を落としたことは紛れもない事実。
毎年、この日だけでも、このことについてじっくり考えてみてはどうだろう。