【閲覧注意】

かなりマニアックな内容となっております。

スルーして頂いて結構です。


夜の海老川(千葉県船橋市)






天下無敵  夜露死苦



【当て字】

昭和生まれの紳士淑女は、どこかのコンクリートにこんな落書きがしてあるのを目にしたことがあるはず。     え、ない?汗


漢字が日本に伝わったのは4世紀ごろと云われているけれど、当初はまだ漢字の意味が浸透していなくて、音の表記という性格の方が強かったみたい。


なのでウグイスを宇具比須と書いたり、人名も例えば卑弥呼のように、字の意味を知っていたらもっとマシな字を選んでいたでしょ?というようなモノが結構ある。



漢字が伝わるよりも前から話されていた原日本語は、文字ではなくに意味があった。

→ 音でなく文字に意味がある場合、なのかなのかなのか、前後の文脈がなければ文字を見るまで判らない



井沢元彦の人気シリーズ『逆説の日本史』の古代黎明編では、ヒミコは〝日巫女〟であり、それを神格化したものが天照大神であるとしていて、とっても興味深い内容である。



漢字伝来以前に日本独自の文字があったかどうかの話はここでは省くとして、漢字伝来後は有力者たちの間に〝意味はよくわからないけど、この文字使ったらカッコいいじゃん〟的な空気が少なからずあったと思う。


そういう意味では夜露死苦とさほど変わらない。

いや、むしろ夜露死苦の方が漢字の意味やイメージをしっかり捉えている。




【フサノクニ】

その頃(古墳時代ね)千葉県をはじめとする南関東一帯は〝捄(フサ)〟と呼ばれていたようだ。のちに同じ読みで〝〟という字が使われるようになる。


フサという言葉には〝房をなして実るもの〟という意味があったようで、それはではなかったかと云われている。


律令制の頃になると、この一帯は総のほかに安房(アワ)、相模(サガミ)、武蔵(ムサシ)が分立、制定されていく。


一説に、サガミは総上(フサカミ)、ムサシは総下(フサシモ)の転訛だという。


やがて総も上総(カミツフサカズサ)、下総(シモツフサシモウサ)に分割される。


関東地方の旧国名


因みに、上(カミ)と下(シモ)というのは、現在も〝上り線下り線〟と言うように、当時ヤマト政権のあった近畿に近い方が上である。


ところが、上総下総の場合、房総半島中部の上総よりも、東京寄りの下総の方が近畿に近いのだ。


なぜ上下が逆転しているのかと言うと、当時房総へ行く場合、陸路よりも海路を選ぶことの方が多かったから、だそうである。


東京湾フェリーHPより


西方から黒潮に乗って外房へ、或いは、三浦半島から東京湾を渡って内房へ。


確かに。ましてやクルマなんぞなかった時代。

海を渡る方が遥かに早くて楽チンだったはず。


安房は、阿波(徳島)の忌部氏が移住したことからそう呼ぶようになったとか。やはり黒潮に乗って来たのだろう。どんぶらこ、どんぶらこ... 

海ごみドット・コムHPより


何が言いたいのかというと、漢字伝来前の原日本語に着目すると、何か日本の原風景のようなものが垣間見れないだろうか、ということ。

そして、今はよくわからなくなってしまっている原日本語を読み解くヒントが地名に多く残されているということ。




【亀有の例】

『こち亀』で有名な亀有。

昔、この辺りには亀がいっぱい居たのだろうと思っている住人はきっと少なくないと思う。近くには河川もあるし。


ところが、江戸時代に入る前までこの地は亀無(カメナシ)と呼ばれていて、亀が居たとか居なかったとか、そういうのが由来ではないのだ。


葛飾区史なんかには、川の合流地点にあって地形が盛り上がっているのが亀の甲羅に似ていることから〝亀を成す〟な〜んてテキトーなことが書かれている。


オマエ何様?って言われるのを承知の上で言うと、日本史が専門みたいな人の調査だとそういう結果が導かれることが多い気がする。

ただの物語になってしまうのだ。


そうではなくて、地質学であるとか、言語学であるとか、違う分野の人たちの文献に当たるとモヤモヤが解消されて全体像が見えてくる。



古くから伝わる地名は、動詞を原型とした地形を表す言葉が多いようである。


カメは〝噛む〟とか〝食む〟に由来して、浸食されたU字地形をそう呼んだらしい。


そしてナシは〝無い〟で平坦な地形を表すのだとか。→〝成す〟の場合もあるにはあるようだが


つまり、周辺に浸食された地形が続く(海岸線があったと思われる)のに対し、ここだけそうした地形が無いことから、カメナシと呼ばれたと考えられる。


亀は後世の当て字。亀無を亀有にしたのは、江戸幕府の国図作成のときで、スルメをアタリメと呼ぶのと同じように〝無し〟は縁起が悪いとして〝有り〟に変えたのだそうだ。



【海老川の由来】

そもそも今回、何故にこんなマニアックでハードコアなことを取り上げたかと言うと、船橋に住む知人の子(小6)が夏休みの宿題で海老川(船橋に流れる川)の名前の由来を調べていたことがキッカケだった。


その子曰く、諸説あるのだけれど有力なのが、


川で獲れた海老を殿様(源頼朝)に献上したから

海老のように曲がりくねっているから

なのだとか。


それを聞いた瞬間、ぼくは真っ先に違和感を覚えた。→ オトナ気ない


確かに海老川は海に流れているけれど、ここで海老なんか獲れるか?


確かに川は曲がりくねってはいるけど、それを海老だと思うか、ふつう?


そこで徹底的に調べたのである。


船橋には船橋大神宮と呼ばれる神社があって、正式には〝意富比(おおひ)神社〟という。


〝おおひ〟というのは太陽のことで、土着の太陽神信仰があったと思われる。そしてそれはこの辺に勢力を持っていた古代豪族の意富(オホ)氏の氏神であった。


それが後世、ヤマトの力がこの地にも及ぶようになると、ヤマトの神である天照大神と融合していった。ともに太陽なので自然な流れであったと思う。


海老川を海と反対に辿って行くと意富比神社が二つ(東町と米ヶ崎町)あり、いずれも意富氏の館跡だと思われるが、船橋には意富比神社が大神宮と合わせると三社あることになる。

厳密には、三社のうち一社(米ヶ崎町)は富比神社である。意ではなく恵。


意富比神社の位置関係



〝香り〟を昔は〝かほり〟と書いただけでなく、実際にそう発音していたらしい。他にも


yi

ゑ  ye

wo


といった具合に、発音がデフォルメというか、より発音し易い音に変換されていった例は少なくない。


原日本語には同じハでも〝ファfa〟に近いものや、アラブ語みたいに喉を鳴らすような〝kha〟みたいなのもあったのだとか。→ 痰をぺってやるときみたいな


ところで、LとRの発音を使い分けられる日本人は珍しい。国際線CAでもLとRができない人が非常に多いと思う。


これは強弱の違いとかではなくて、発音が異なる別の音なのだ。


election 選挙

erection 勃起


Mr. Trump has been erected in the United States... 


トランプ氏がアメリカで勃起しました


〝選出されました〟のつもりが、とんでもないことになってしまう。


日本語だけではない。


例えば、韓国語(ぼくは話せないけど)のBとPは同じ音らしい。だから釜山はプサンだったりブサンだったりするらしい。

サシスセソとシャシシュシェソ。韓国の友人で試したが、よほど意識しない限り、何が違うのかわからないらしい。ザとジャとかも。


スペイン人にとってBとVの違いは希薄。Vamos bailar(さぁ踊りましょ) も普通にバモスバイラルと言う。ヴァモスではなく。


かなり脱線したが、船橋の意富比神社


〝おおひ〟は古くは〝おほひ〟もしくは〝おふひ〟と言ったのだと思う。先述の〝かほり〟のように。


意富氏はもともと氏で、日本最古の皇別氏族(皇族出身の氏族)と云われてる。

意富のほかに大、飯富、飫富、於保とも記され、発音もオオ、オウ、オホ、オフ、オブなどであったと思われる。


当時の日本語には母音がたくさんあり、今のように〝国語〟として体系化されていたわけではないから、発音の区別も人や地方によって曖昧であったと考える。


意富比神社の一社が富比として伝わっているのは、それが実際にヱフヒエフヒと呼ばれていた時期があったからではないかと推測する。

オホオフ、オブの転訛があったように、オフヒエフヒ → エフィ、エビへの遷移も十分に考えられると思う。


そしてそれこそが海老川の名前の由来であると結論づける。これは自説だけど、けっこう自信アリ。


余談だけど、武田信玄の重臣であった飯富虎昌はオブだが、祖先の源季貞が上総国飯富庄(現在の袖ヶ浦市飯富)に住して飯富を名乗ったのが飯富氏の始まりである。


もちろん、その小6の子の努力をぶち壊すようなことはしていない。


「よくそこまで調べたね、凄いじゃん」


と褒めておいたし、実際にそう思う。



参考文献

言葉と地名/今井欣一

地形地質と関わる災害地名/中根洋治