本当に夏はやって来るのだろうか...

今年の梅雨はそんな気持ちにさせるのと同時に〝タイ米騒動〟を思い出させる。
昭和生まれの紳士淑女たちは「あった、あった」と頷いているはず。

かれこれ25年前ぐらい?
記録的な冷夏で、海に行っても水温が冷たくて入っていられなかったのを憶えている。

備蓄米すら切らしてコメが足りないということで日本政府が各国に支援を呼びかけたところ、微笑みの国タイは真っ先に快く数百万トンものコメを提供してくれたのだった。

ところが...

例えばTKG(〝たまごかけごはん〟をそう呼ぶのを最近知った)にして食べるような?ぷりっぷりツヤッツヤのご飯なんかと同じようにタイ米を食べようと思うと、とても食べられない。

「あんなモン食えたもんじゃない」

吐き捨てるようにそう言う友人や家族に、オマエら人としてどうなの?ウマいマズいじゃなくて、ありがたいって思えないの?なんて聖人ぶってみたはいいけど、いざ自分で食べてみると、それまでの勢いを完全に消失(汗)恥ずかしかった。

〝ブレンド米〟なんていう、日本の米とタイ米の良さを打ち消し合う最悪なアイディアがもてはやされたりもした。

でも、いちばん印象深いのは、あの時なんとも遣る瀬無い気持ちになって、今でも当時のことを思い出すとちょっとみぞおち辺りがヘンな感じになる。

それは、何十万トンというタイ米が人の口に入ることなく投棄されたということ。
そして、日本にコメを提供したことでタイではコメの価格が高騰して貧困層に餓死する人が出たこと。

 世の中の矛盾に敏感な年頃であった当時のぼくは、マズいマズいとタイ米を嘲笑う人たちに同調してしまったことへの羞恥心と後ろめたさでいっぱいだった。タイ米というか、タイを含めた東南アジアそのものを見下しているような気がして。

行き場のないの自己矛盾をたくさん抱えながら、底なしの好奇心でいっぱいだったあの頃が懐かしい。


例年であれば、今時分は真っ黒に日焼けして、海だ山だと出掛けることが多いのだけれど、今年はそんなわけでカフェだとか屋内で過ごすことが多い。
そのお陰で、ボケ防止にと始めた資格取得の勉強が思いのほか捗っている。
 
おっさんになって、敢えて苦手なものに挑戦することの楽しさ、喜びを知ったと思う。若い頃みたいに自分を証明しようと躍起になるのではなしに。

苦手を克服できなくても構わない。
ただ、そうやって、自分が今まで纏ってきたモノ(苦手意識に対する肯定)をちょっとずつ脱ぎおろして身軽になっていく。
そうすることで、いつでも凛としていられる気がする。


何年か前に、バク転ができたらきっと世界が変わると思ってバク転教室に通ったこともあった。周りからは、元新体操選手の美人先生が目当てだと思われていたが。

水泳というか息継ぎが苦手だったぼくは、息継ぎナシで死に物狂いで泳ぐものだから、クロール25メートルは、とても泳ぎが苦手と言う人のタイムではなかった。
そんな自分がどうにかこうにか息継ぎを覚えたのも、おっさんになってからだった。

最近は、来月の千葉県毒劇物取扱者試験に向けて、大大大の苦手だった化学を勉強している。
〝すいへーりーべ〟を暗記し直したり、モル計算に四苦八苦してはいるけれど、自分が高校生だった頃とは違い、今は有名予備校の名物講師だとかが解りやすい動画をアップしていたりするのでとても楽しい。



できなかったことができるようになったり、分からなかったことを理解したりと、喜びはごく身近なところに転がっている。