クルマで別府から大分空港へ向かう途中、どうしても寄ってみたい町があった。
〝杵築城下町〟である。

このお城は模擬天守。内部は資料館になっており、模擬ではなく本物の甲冑が展示されている。

んーたしか『信長の野望・天翔記』だったか...九州に〝木付〟という武将がいたはず。政治力も戦闘力もそこそこ高かったのを記憶している。そこで、館内の女性職員に、

「戦国時代にキツキという武将がいましたよね、漢字が違いますけど」

と訊いてみた。すると、

「えーよくご存知で」
と嬉しそうに答えてくれた。

元の地名は〝木付〟であり、室町時代に大友氏の一族がここを領有して木付を名乗ったそうな。大友氏と言えば、キリシタン大名の〝大友義統〟が有名。

〝杵築〟という漢字になったのは、江戸時代、朱印状に誤ってそう書かれていたからだとか。
杵築は出雲の神さま〝オオクニヌシ〟の別名らしく、島根では地名にもなっていたとのこと。
将軍様からの朱印状を「これ間違ってます」と言って突き返すわけにもいかなかったのだろう。

甲冑に詳しいわけではないのだが、胴や肩に施されたうすい藍色(浅葱色)がとても印象的で、鎧に使うのは珍しいのでは?

模擬天守からの眺望。
杵築城が海や崖など天然の要害に囲まれていたというのがよくわかる。戦国時代、3万の島津の軍勢を退けたとか。

城下町には武家屋敷が数軒あり、いずれも見学可能。ガイドの方の説明が面白く素晴らしい。

上級武士の屋敷〝大原邸〟にて。
ちょっと住んでみたい。


完全にバリアフリー。直線的に外へ逃げ出せるつくりになっているのだとか。

茅葺屋根は、数十年間、煙で燻し続けることによって初めてその機能(雨漏りしない、通気性・断熱性に非常に優れている)をフルに発揮するのだとか。本物の茅葺屋根を使っているこの大原邸ではかまどの火を絶やすことなく、煙で燻し続けているらしい。茅と職人が不足しており、葺き替えだけで4千万円かかるとのこと。


藩主の休憩所であった〝磯矢邸〟の庭にて。
雨雫の波紋が乙。

でんでんと豊後梅。

この日はずっと雨降りだったが、この石畳を見たときに、好いときに来たなぁと思った。

武家屋敷は高台に、町人長屋は低いところに。

城下町の高台の外れに、代々藩医を勤めたという〝佐野家〟がある。現当主は故郷を離れ、がん研有明病院の院長をされているとか。

着物がよく似合う若いカップルがいたので、後ろ姿を撮らせて欲しいとお願いしたところ、快諾してくれた。

魅力満載の杵築城下町。関東では〝小江戸〟なんて言うが、ここは〝小京都〟と呼ばれるらしい。

着物のレンタルショップがあり、着付けもしてくれるとのこと。着物姿で町を散策すると、武家屋敷などの公共観光文化施設の入館料が無料になるそうだ。どおりで。雨にもかかわらず、着物姿の人が割と多かった。

杵築城や武家屋敷、佐野家など7か所すべてを廻ると1,200円かかるところ、800円になるお得な共通券も販売しており、ぼくは杵築城に入館の際に購入した。効率良く廻るルートや駐車場なんかも丁寧に教えてくれる。
普通にすべて廻ると2時間くらい。

こんな素敵な町に何かしたいと思い、ふるさと納税を検索したが、杵築市はやっていなかった。


最後は、大分空港のすぐ手前にある〝奈多海岸〟で、ちょっとしたスキマ時間を。因みにここは日の出の絶景スポット

このあと大分空港から羽田へ向かったのだが、空港には足湯スペースがあり、粋である。


大分県には、国東半島や田染荘、耶馬渓、湯布院、臼杵など、訪ねてみたい場所がまだまだある。温泉もあり、食べ物も美味しく、人も優しかった。また是非ともリピートしたい。

(完)