お昼過ぎ、急な連絡が入った。
「Kが死んじゃった」
20代、高校卒業後アメリカから帰ってきて、行く気もなかった東京の大学へ行くために都内に出てきて、一人暮らしが始まった。
大学もアメリカへ行く気満々だった私にとって、東京暮らしはただつまらない、なんでもない日々の繰り返し。
反抗するように大学もほぼ行かず、飲まず食わずでお金をためてとにかく海外へバックパッカーを繰り返す日を過ごしてた。
バイトに対しても、スタバ以外は特にこだわりもなく、近くで短時間こなせるもの、時給がいいもの、そんな感覚で探しては働く毎日の中、たまたまやっていたビアガーデンにて知り合ったバイト仲間に、地元の友達紹介するよ、ということでその後長く付き合う東京地元仲間が出来た。
全員男子。
ただ、息子のように育てられた私にとって、その環境は非常に心地よく、何も気にせず接してくれる彼らの中がとても居心地よかった。
その中でも、何となく気が合う数人。
その中にKはいた。
シャイで、政治の話、日本の話、右だの左だの、意外とちょっと小難しい話をコミカルに話す彼を、私は好きでした。
個人的に連絡は取ったことは無く、みんなで集まるとなると何となく来る彼は、私の事を他のみんなはあだ名で呼ぶのに、これまた小ばかにするように名前で呼んでくる。
それを全然気にせず、流して聞く私の態度に、ちょっと嬉しそうで、みんなが聞いてる聞いてない関係なく、濃いめウーロンハイ片手にペラペラ話しているのが目にこびりついている。
生きていると、深くなる仲、親友と呼ぶのが恥ずかしくない仲、頻繁に連絡を取り合う仲、色んな表現ができる関係性があると思うけど、そんな風にラベルが付けられないけどお互いに大切に思える特別な関係性ってある。
私は、そう信じてる。
そんな風に大切にできる関係があると思う。
そんな彼が亡くなりました。
最後に会える予定だった日、私は仕事があって集まりに行きませんでした。また次に会えばいいと思ったから。
何回、この間違いを繰り返すんだろう、、、
誰よりも、次が無いのが分かっているはずなのに。
動いている彼にあったのは、もう何年前だろう。
何を話して笑ったんだろう。
もう覚えがありません。
何回繰り返しても、お別れのさみしさに慣れることは無いです。
私は直接聞いてないけど、次生まれてくるときは・・・って次の事を語ってたから、もしかしたら生まれ変わるかな。