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ようやく暖かい日が多くなってきた。


2月の立春以降、すごいスピードで何やら身辺があわただしい。。。


本来の自分を生きようと決めて、

自分の内側に向き合ってみようという方が

たくさん足を運んでくださる。



長い間、置き去りにしてきた自分の本当の声

大事にすることで、自分を愛するということを

本当の意味で理解していく過程が、

日々、展開されていく。。。



自分が見たくなくて置き去りにしてきた“気持ち”を

わざわざ内側に分け入って、

もう一度感じてみるというのは、

自我にしてみれば、なんとも怖ろしいことだ。。。


だからこそそこに置き去りにしたのであり、

長いこと光を当ててみる気になれなかったのだから。。。



人生が行き詰っていることは、自分の内側のどこかに

行き詰まりがあるということだから


まぁ、たとえ行き詰っているようには見えなくても( ̄ー ̄;

本来の生き生きした自分自身や、

喜びあふれた人生を生きたいと思うなら

一番の早道は、

「内側に入って自分の本当の声を聴くこと」 だ。


確かに一人でこの作業をするのは怖いかもしれないが

私たちのようなサポーターの手を借りれば、安心して自分と

対話を重ねることができる。

(時に、人の助けを借りるのも大事ですね。。自戒をこめて(;^_^A)



怖さを越えて、自分に向き合う姿は

まさに “聖なる姿” だ。


本当に、この上なく美しい、と毎回感じる。



その人が、人間として不器用であればあるほど

その美しさは際立ち

才能というものの本当の意味を考えずにはいられない。



「不器用さ」それはやはりひとつの才能だと思う。



一見、マイナス要素に見える「不器用さ」という要素は

その裏側に、「真摯」という要素をぴったりとくっつけて

その両方でひとつの“才能”として成り立っている。



だから、不器用な人ほど真剣に向き合い

器用な人よりも早い段階で、

「本当のこと」をつかんだりする。


フルフィルメント瞑想の創始者、ボブフィックス氏も

以前の瞑想のセミナーで、

「多くの神秘体験を重ねるスーパースターよりも

いつも集中できずに、頭を抱えながら瞑想する

悩み多き瞑想家の方が、案外突然啓発(悟り)したりする。」

と話していた。


なんとなくわかる気がする。。。