他の方の妊娠から出産までのブログを読んでいて、久しぶりに次男坊の出産までのことを思い返しています。


すごく辛かったから、なるべく思い返さないようにしていたけど

今となっては大切な記憶になりました。

心の葛藤や傷が癒えてきた証かなと思います。


こどもの障がいや病気って

どこか他人事のようで、

そんなお子さんを抱えるお母さんのことを

ただただ「強いな、すごいな」って尊敬していて、自分は当たり前のように元気な子どもが産まれてくると思っていました。


安産祈願

「元気に健康な子どもが産まれますように」


本当にただそれだけの願いでした。


妊娠7ヶ月頃

いつもの妊婦健診で


「お子さんの脳に水が溜まっています。大きな病院へ紹介状書きます。出産はそちらになるでしょう。障がい?予後は様々なので何とも言えません。」


世界が一気に変わった瞬間でした。


長男が1歳ちょっとのときでした。


いやいや期に差し掛かり、ワンオペ育児。

お腹の子の不安。


参りました。

悲観的になり、ここには書けないような気持ちにもなりました。


同じ妊婦さんを見るのも辛かったし、

元気な兄弟を見かけると胸が苦しくなりました。


今思えば本当に暗闇の時期でした。


出産までに沢山の検査をしました。

でも言われるのは

「産まれてみないと分からない。」でした。


次男坊の病名は、先天性水頭症。

原因はあるものから不明なものまで

予後は様々。

脳の髄液がうまく流れなくて脳室が拡大していく病気です。

赤ちゃんは頭がい骨が柔らかいので

頭が大きくなるのが病気の特徴です。

大人がなると、かなりキツイ症状みたいです。


実際次男坊は産まれてしばらくは平均より頭が大きかったです。


色々と葛藤があるなかでの出産となりました。

頭が大きくて、リスクも大きいため帝王切開での出産となりました。


不安しかなかった、楽しみと思えなかった出産。

初めてのご対面は

「かわいい…。」でした。


そこから次から次へと見つかる問題。


後に重度と診断の付く難聴。

新生児聴覚スクリーニングで両耳共にひっかかりました。


そこから数日後に

「眼がおかしい。専門医に見てもらいましょう。」と言われ…。


このときわたしは先に退院して毎日母乳を届けに行っていました。


「この子には音も光もない世界なのかな…」


ひとつ受け入れようとすると

またひとつ出てくる問題…。


今でも途方に暮れながら

長男を三輪車に乗せてひたすらお散歩していたことが忘れられません。


そこから数日後に眼科の先生から

「ハーフの子みたいに目の色素が少し薄いだけだから大丈夫。」と言われて

すごくホッとしたのも覚えています。

小さな頃はよく「ハーフちゃん?」と声をかけられました。


水頭症は生後2週間で手術をして、一歳まではシャントという髄液を流す機械を頭からお腹まで入れていました。

シャントは磁気がダメなので…磁石が入ったおもちゃではないか…等かなり気を使いました。


1歳手前でシャントの抜去手術をして

内視鏡で髄液が流れる通り道を作る手術をしました。

(なぜか赤ちゃんには有効ではないと言われているため1歳まで待ちました)


上手くいったと思っていた手術…。

なのに…退院後も傷口から髄液が出てくるんです。

信じがたいと思いますが、抱き上げたりすると

水のようにポタポタと出てくるんです。

傷口がくっついてない…。

おかしい。と思って毎日のように病院へ行きました。

大丈夫大丈夫って。言われても…信じられなくて。

そしたら…ついに意識がなくなりました。

半開きの眼をよく見るとクルクル回ってるんです。

慌てて夜間救急に連れていきました。


髄膜炎を起こしていました。


1歳の誕生日。

緊急手術でした。

何が喜ぶかな?って楽しみに準備していました。

目覚めた次男坊…こっち向いてニコッて笑ったんです。


次男坊出産後…初めていっぱい泣きました。

同時に、もうこんな思いはさせたくない。

もう泣かない。

この子のために強くなる。 

って強く思いました。


緊急手術からおよそ一ヶ月間、頭の高さを管理されているため抱っこ出来ないのと、次男坊も寝返りも打てないようにベッドに固定されたベストを着て…管のいたずら防止に腕には筒のカバー…

本当にかわいそうでしたし、身体も弱りました。


あれから次男坊の病気や障がいのことでは泣いていません。

泣かないことが良しとは思いません。

でも随分と前を向けるようになったんだと思います。


他にも問題があったため

手術は何度もしています。


違う病気のお子さんのママの言葉で忘れられない言葉があります。


「こどもがね、病気になったというお母さんの心の傷…癒えるのに6年はかかるんだって。だから無理して受け入れようとせずに、少しずつでも癒えていくんだよ。」


ああ…焦らなくて良いんだなって思えました。


焦って

受け入れられない自分を否定するよりも

少しずつ受け入れていけば良いんだって。


あれから9年と少しの歳月が流れました。


障がいを抱えるこどもとの毎日は

本当に大変です。

気力も体力もかなり使います。


でも、きっと

長男と次男とふたりとも健常だったら

わたしもっと違うお母さんになっていたのかな…と思います。


大変だけど愛おしい。


不思議ですね。


健常とか障がいとか関係なく子育ては大変だし、

お母さんって芯から強い。


イライラしたり疲れちゃうときも多々ありますが、あの頃のわたしに

大丈夫だよ。って言いに行きたい。


そう思えるくらいになりました。


(お気に入りの写真です照れラブラブ


ふー照れ

久しぶりに振り返ったというか 

文字として纏めたのは初めてです。

長く書いていますが、

最後まで読んでくださった方

本当にありがとうございました照れ流れ星