皆さんこんにちは。
PL教に「みしらせ」と言う教義があります。
何があっても自分に責任があると思え。
どんなことでも自分が悪いと思え。
まあ、そういう教義です。
みなさんは昔中国にある日本大使館で、中国人が領土を侵して日本大使館に入り、その者を日本大使館の公務員が落とした帽子を拾ってあげて中国人に挨拶までして、世界に笑いものになった事件をご存じでしょうか?
他の国ならば、「ここをどこだと思ってる?日本の領土だぞ!」と言うものです。
責任の所在というものを考えられなくなるおつむの弱い教義、それがみしらせです。
百歩譲って信者がみしらせとやらを守るだけならば「情けない」だけですみますが、それを一般人にもたちの悪いことに押しつけるのです。
私を虐めていたバカバヤシも、そしてPL学園で虐められていた生徒に「みしらせ」と言い放つと聞きます。
はっきり言って、責任の所在を考えるのは結構頭を使うときもあります。
それを放棄するのだからある意味楽ですよね?
ちなみに古典で尊敬語、謙譲語を把握することにより、主語が分かるというのを聞いたことがありますねー。