休日が「暇」と、休日が「退屈」の違いとは | 哲学や心理学、倫理学など、なんかそれっぽいことを凡人が考えてみるブログ

哲学や心理学、倫理学など、なんかそれっぽいことを凡人が考えてみるブログ

物事について、更けこんで考えた結果をつづるブログです。

気になったことや、時事ネタや空想などなど、ごった煮なブログです。

たまにその日の出来事を書くこともあるかも。

今日(昨日)は七夕でした。

 

 

 

そんな七夕、私は仕事も休みだったので暇つぶしにパチンコにいって大敗をしました。

 

7月7日=仕事休み=勝った  と考えた愚か者の極みです。

 

どーもロールです。

休みが退屈すぎて、良い休日の使い方を模索中です。

 

 

暇つぶしと退屈しのぎは言葉的には似ていても、意味は異なるものみたいです。

「暇」と「退屈」は言葉の定義が違うみたいですね。

 

「暇」by  goo国語辞典

 継続する動作などの合間に生じるわずかの時間。「食事をする―もない」「―を見て外出する」

 事をするための一定の時間。「―のかかる仕事」「手間―」

 自由に使える時間。なすべきことの何もない時間。「―を持てあます」

 休暇。休み。「一週間の―をいただく」

 

「退屈」  goo国語辞典

 することがなくて、時間をもてあますこと。また、そのさま。

「散歩をして退屈をまぎらす」「読む本がなくて退屈する」

 飽き飽きして嫌けがさすこと。また、そのさま。「退屈な話」

 疲れて嫌になること。

「呪咀 (じゅそ) することの及ばぬとて、かの后たち―し給ふ」〈伽・熊野の御本地〉

 困難にぶつかってしりごみすること。

 

さらっと私的に解釈した結果、

 

「暇」は割とポジティブな表現で、

「退屈」はネガティブな表現ととらえれますかね。

 

 

上記を踏まえて、ちょっと私の心の中を分析してみます。

 

 

私は今日暇だったので、パチンコ屋に「暇つぶし」で行ったつもりでした。

しかし、暇を楽しむためにパチンコ屋に行きたいと思っている反面、

勝てないのできっぱり引退してしまいたいとも思ってる心もあります。

私がパチ屋に行く活動は、短期間で連続で行くときもあれば、

行かなくなるとぱったりと数か月行かなくなるといったサイクルをうろうろしています。

 

パチンコ屋に行くときの心の中の半分くらいは、どうせ家にいてもやることがなくて退屈だから、

パチンコ屋に行こうと感じているところもあります。

パチンコ屋に行っていない休日で予定がない場合、家でゴロゴロと退屈してることが多いです。

 

私の今日の行動は「退屈しのぎ」でパチンコ屋に行っているともとれますね。

「退屈しのぎ」で金銭を失っているのって、結構ばかげていると、

今このブログを書きながら冷静に考えてしまいますね。。。。

 

 

休日やることが見つけられない方は(私ももっぱらそうですが)、心が退屈と感じていることが原因ということになりますね。

逆に暇を楽しめる人は、退屈と思わない心にあると考えられますね。

 

暇を楽しめるって表現がかっこいいですね。

もしくは、暇がなさすぎるくらい忙しくないと、暇を楽しむなんてこともできないってことですかね?

 

次回以降もう少しこの暇と退屈について、深く考えてみようと思います。

 

次回のテーマは

・退屈と感じてしまう理由は何か?

・退屈と感じない理由は何か?

 

 

暇をたしなんで、パチンコ引退や!

 

以上