PAMの存在する社会構想


ひとは年齢を重ね、やがて高齢者と言われる年代へと移行します。社会との繋がりが薄くなり、楽しく生きいきとした生活は、やがて思い出になって行きます。


その思い出は、やがて認知機能の衰えにより、虚ろな輪郭だけになってゆきます。


PAMはその輪郭の中へ「思い出」「楽しいひと時」「つどい」様々な記憶を置いてくれます。


PAMが虚ろな認知の取り出しになった時、それが『自分』を失わせない社会、個人の尊厳と出来る限り自律的な生活を続けることをサポートします。


思い出・人格・価値観・生活の一貫性を維持させ、近親者を認知できることをサポートします。

記憶・経験・自己・尊厳を守るという新しい価値を社会インフラの構造のなかに、優しく寄り添う形で備えるものです。


PAMのコア機能


①「人生データのバックアップ」


誰か他人が創作したり、AIからは作れる事がない「本人の体験、経験・価値観・判断基準など」を書き添えてゆきます。


②「随時更新可能な記憶データベース」の作成


2〜3年ごとのアップデートを目処にして、自身で変化を確認し更新する。本人主体の日記のようなDBです。


③「認知機能が低下した時の日常・見当識をサポート」できるもの


人生のバックアップデータが、現在既に存在するスマホや家のデバイス、様々なウェアラブルデバイスへAIがその人だけのPAM内人生メモリーDBに繋げ

  • 今日の予定
  • 今いる場所
  • 相手が誰か
  • 安心できる言葉は
  • 過去の記憶の補完


などを優しく提示します。


【試作中のPAMプロトタイプ】

  • 40〜60代で親の介護が近い方
  • 65歳以上のご本人
  • 子どもに将来的に自身の介助で負担をかけたくない高齢の親御様
  • 健康な一人暮らしの高齢者だが、AIが家族のように日常に寄り添ってほしい、日常サポートをしてほしい方
  • 話し相手として(昔話しも人と話すように)AIが話し相手となることも可能です。


ご自身の記憶を24時間守り整理するAIだから出来る事は今後様々な型でアップデートしてゆきます。それは、例えば行政への通知や返信、必要な申請書類のデジタル化にも対応出来てゆくでしょう。


PAM・Personal Assistance Model

CMS

コレクティブマインドスタジオ


お読みいただきありがとうございました。







「今日が記念日になりました。」
って何の?ですよね。
それは、「PAMのプロトタイプ」が完成した記念すべき日です。

たぶん、「何を今頃」と
以前の記事を読まれている方々は、そう思われることだと思います。

だから、これは「わたしだけの記念日」です。もしも気にしていただいていた方があったとしたら

やっと「PAMプロジェクト」の最初が踏み出せた、というご報告にさせていただきます。ありがとうございました。


これは、ちょうど一緒に作成した「語順スイッチ英語」のキャラクターですが、PAMプロトタイプ完成のお祝いキャラクターとして載せさせていただきました。


Collective Mind Studio ユウ



あの夢で年老いた私に聞こえていた「ぷらいむえいじど42さい」がいったいなんだったのか

それはまだ解らない

ただ少しだけわかるのは、今やっている事の2つが繋がったその先にある社会がそれに関連しているのだろう、ということだけ

老化による自己認識機能不全
そして社会が、溢れるそのことを、自ら支えきれない人たちをどう支え合えるのだろうか

ここで昔話を思い出した。
ひとりはばんにんのため
ばんにんはひとりのため

綺麗なことばには
残酷さが並走する
理念は美しい
それが夢になった時は
とても悲しい

認知機能補助システムも
理念だけだったんだろう、か
素晴らしいと思っていた、だけ
だけで現実を見ることが
出来なかった。だけなんだろうか

いまはただ
それを仮想の世界で話している
だけ

現実のこの世界では
なにひとつかわらない
かえることはできない

という現実でのまけいくさから
たったひとりでもいい
おなじおもいをきょうゆうし
はなしあい
なぐさめあえたらいい
なんておもっている
んじゃない

たったひとりだけ、ぼっちでも
成して遂げたいとおもっている
だけ

だれにも迷惑かけてない
誰にもひょうかされてない
わらい話しをていきょう
してるだけ

ぐにもつかない
そんなまいにちを
ひたすらに
あゆんでいるだけの







もっと若くして
「気づけていたら」
こんなにも長く
遠回りせずに

ひとから感謝され
充実した日々を
幸せにすごせていた

のに

あの辛さと我慢
悔しさと失望の日々
それでも

生活の為に
そんな気持ちを胸に
押さえ込んで働いていた

あるときは
所属する部所の責任者に
身に覚えない理不尽な理由で
罵倒され、言葉に詰まって
叱られ、軽蔑され

その気持ちを押しころして
下を向き、ゆらゆら
とぼとぼ帰る道

その先に広がる
赤く染まった雲と空
ゆっくりと沈む夕日

自然
涙が溢れ出て
「わたしはこれからも
ずっとこんな生活が続いて
ゆくんだなぁ、、、」

それがわたしの
この世界の必然なんだと
変えようが無いもの
そんなふうに諦めていた
あの日、あの日々

今にして想えば
あれがあったから今の私が在る
そんなふうに思える
自分

過去がどうであれ
わたしはこの
今にしか無い

遠回りであったと
それも含めてわたしは
今なんだ

きっと若くして
苦労も辛く悲しい思いも
せずに成功できてたら

こんな気づきは貰えなかった

あの苦しかった日々や
何をしても上手くゆかない
嘆き悲しんだ事の

そのひとつひとつが

わたしの心のなかに
世界に生まれ
それと共に預けられた

命題

それをつくり世の中に
貢献できる命題を
思い出させてくれたんだ

色んな挫折や悔しさや
心の痛みを身に纏う事で
大切なものを
思い出させてくれた

そして今は
心のなかに空いていた
『約束の場所』が
本当の姿にかわってゆく

『何を求めて
この世界にきたのか
ただ無為に生きるため
では無いはずだ』

今なら
事象と実相
その違いが
観える

前を向いて行こう
だいじょうぶ
かならず

ほんとうの願いは
必ず叶うもの
なんだから







あなたが子どもの頃に感じた

自分の無限の可能性

夢や願いが叶う世界観

それは、いったい何処へ

行ったんでしょう


あなたが産まれたとき

ひとは生まれた時は、何もこの世界での経験は無い


産まれたその後、いろんな周りの人々の考えやこだわりの言葉や所作をあなたは受け入れてゆく


わたしたちは産まれ成長し、その成長過程でたくさんの

「ねばならない」

「してはならない」

などを自分に保存してゆきます。


公共の場での所作、商業施設や電車、バスなどのなかでの所作


様々な所作を他者からもたらされます。そしてやがてあなたは、周りの人達を支軸にした思考が出来上がってゆきます。


周りを優先した思考がわたしを作り上げてゆきます。産まれ生きてきたのは自分だったのに


これが、コンフォートゾーンとして無意識、潜在意識に刻まれた自分の檻になります


コンフォートゾーンは安全安心な心の状態を維持して自分を守る貝殻であり、生きるために必要なものでもあります。


産まれたばかりのわたしは、固定観念の様なものはまだありません。持ってきたのは、ただ無限の可能性だけです。


その無限の可能性が外界からもたらさられた様々な「ねばならない」や「しては駄目」などの否定的な声かけにより


固定観念やルーティン・習慣となり、やがてコンフォートゾーンが形成されてゆく


そして、その弊害としてあなたが産まれたときにあった無限の可能性もそがれていったのです


ひとは、家庭や親族、友人など社会で出会う人たちから色んな固定観念をもたらされてゆきます。


大人になったときには

その固定観念により思考や心は固定され、小さく纏まっている


その固定観念に包まれた

思考(意識)・心を

リセット、リスタート

させることにより


もう一度、産まれた時に持ってきた無限の可能性の状態へわたしを再配置することにより


心を解放して穏やかに、和やかな自分になれたら、なと思います。


これはけして、我がまま放題、無責任で放漫な人間になると言う意味ではありません


コンフォートゾーンの過度に効き過ぎた状態、抑圧による心の負荷を軽くするリセット、リスタートという


思考(意識・心)の開放が必要だということです






高い山に登る

山は崇高な場所

霊山修験者


神の頂

祈りをこめ

身を清めて登る

六根清浄


六根清浄

お山は快晴

繰り返し

声をだしながら

山に登る


山の頂き

遥か彼方に

朝日を背に

山々の頂が見える



六根清浄

お山は快晴

六根清浄


共に登った

仲間

静かに

遥か山並みをみる




ぼんやりとこんな事を

考える

六根清浄とは何か


六根清浄は

眼耳鼻舌身意の六根を

清浄にすること


眼耳鼻舌身意を清浄

色声香味触法の感覚を

清浄にする

とぎ澄ます



五蘊」

色受想行識

感覚の作用を

清浄にする


その清浄にする

心はどこにある


心を清浄にする

眼耳鼻舌は受信するもの

「受」なので

「心」ではなさそうだ


それに対して言葉は発信

「発」なので

「心」の近くにある


言霊という言葉がある

言霊「心」近くにある


想も心近く

ある様にみえるが

想は反応





社会には幼くしておとなでも獲得出来ない能力を持ちそれを社会的に認められた子供たちがいる

確かにそれは素晴らしく、同じように子を持つ親としては素敵なことだと思います。

でも一方でわたしはその子供たちだけが、優れた能力を持って生まれてきたとは思えません。

特殊な能力を持ち社会に認められた子供達だけではなく

ほかのどの子供たちも同じように「皆、優れた能力を持って生まれてきている」と思うのです。

『全ての子供たちがそれぞれ優れた能力を内在して生まれてきている』

それをわたしたち親や周りの人たちが、その優れたものを顕在化させられるか消し去るかだと思います。

例えば、わたしはイラストや絵画を書くことが得意だったので、それに関する仕事に就きたいと希望しました。

しかし親からは、家業を継ぐ事を理由に反対され断念してしまいました。

本人の硬い決意があれば叶えられた。と言われればそうかもしれません

しかし、待ち合わせた能力と決意をやり通す意思や能力を必ずしも待ち合わせていない子供もいます。

例えば、バイオリンや楽器を奏でる能力を持って生まれた子供であっても

その能力を開花させ導く親御さんにたいして、最初から全くその素晴らしい能力を認められない、意に介さない親御さんでは結果はみるまでもありません。

せっかく待ち合わせた素晴らしい能力も、それでは生かす術が無く日の目を見る事はありません。

世に伯楽ありて然るのちに千里の馬あり、千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず、ですよね

親がその伯楽、つまりその子供の能力を正しく活かすことが出来る人であったなら

生まれ持った能力を活かすことが可能になったかもしれません。

生まれてきた子供たちは、それぞれがそれぞれに生まれながらの素晴らしい能力を持っています

それを親の固定観念(コンフォートゾーン・心の安心領域)で潰す様な事にならないことが大切であると思います。

現在の学校のように、一律に同じ基準で子供たちをみて(評価して)それぞれの個性を活かす事が難しい教育機関ではなく

ひとりひとりが持っている能力を活かすことができる。そんな『場』が創出されたらなぁと思っています。

そして、わたしの夢は『子供たちそれぞれが生まれながらに持ってきた素晴らしい能力を開花させられる社会の創出です。

この世界は『光』だと思う

子どもたちという日本の光が、たくさん輝く社会でありますように





常識だに偏らない
世間体に拘らない
そうであるべきに捉われない


物質のもとのもとをずっとみてゆくと素粒子になり

素粒子は量子で粒子と波動をあわせ持つ


「不思議な存在」


その不思議な存在

素粒子が宇宙・つまり

この世界の存在


「素」


つまり物質は

粒子と

波動エネルギーと

の2つの姿を

併せ持っている


宇宙はその

「不思議な波動」で

存在している


波動は

まさしくポエム口笛


世界は不思議なポエム


じゃあ波動は

何に対しての波なのだろうか?わたしが最初に持ったイメージはズバリ

池などの

水の表面に立つ波ですね😅


しかし宇宙は水で満たされてるわけでは無いからいったい何があるんだろう?

宇宙は「真空の場」
なので量子の波動は結局何かに対し波動が発生している訳でなく

宇宙という「場」そのものが
量子の波動するエネルギー
だということになる

※「真空の場」と便宜上表現しましたが宇宙は波動エネルギーで満たされた場なので真空と言う表現は適切ではありませんね。

この世界の全ては量子
のエネルギー振動による
波動

それは永遠のエネルギー
永遠に変化の無い
エネルギー

それを人間の基準で
考えるのはどうかな
波動は宇宙創世から在る

その宇宙創世のエネルギーが全く今も変化せずにそのままに在る

世界・宇宙の元は量子
それは間違いない
そして時間は存在しない

なぜなら

波動のエネルギーが不変であり続けている事は私たち
人間には理解し難いが

私達が観測する
エネルギーは時間とともに変化する

しかし

量子の波動エネルギー
は変化せずに宇宙の始め
からエネルギーを維持し
不変

その小さな
極小の波動が変化しない
のは理解し難い

その真実をそのまま理解すれば私達が思う宇宙は素粒子の一点と同じと言う事になってしまう

人間から見れば宇宙は途方もなく大きなもの
しかし宇宙が素粒子から成り立つていると見れば大きさなど意味はない

それは何処をとっても宇宙は同じ一つの存在なのだから


地球上に在る仏陀が

この世界のすべてを識り

「悟られた」

のは波動エネルギーで宇宙と繋がったから


薄暗い部屋の

カ-テンを開けると

光が差し込んでくる


窓のそと

2匹の蝶が絡むように

飛んで行く


ようやく目が馴染んで

くると


眼下には

数限りなく拡がる

光の群れ


瞬き 光り

朝日を受け

海が輝いている



遠く薄く陽炎のように

貨物船がひとつ

そしてさらに向こうにも


はるか水平線に

遠く静かに遠く

揺らいで 浮かんでいる


犬を連れ散歩にでる

いつもの様に

海辺の散歩道


そこには

ハマナスが咲いている


海は穏やかだ

遠く水平線の上には

青空が拡がり


湧き上がる
雲が光っている

爽やかだなぁ


スーッと息を吸う

大きな 意識

宇宙の意識


そこに

穏やかで刹那な

心を感じる




 



時間は存在しない
だがそれはわたしたちが従来認識している流れる時間とは違い「場」にあるもので存在する

世界は不思議なポエムだね
この世界の実相もポエムだ
この世界の存在はすべてがポエム

生きるが終わるまでには、真実のこの世界の姿をわたしは識りたい
そしてそれを確認したい、なんらかのかたちで本当にそうであることを確認したい。



超越意識に問いたい


般若波羅蜜多

はんにゃはらみた

プラジュナーパーラミータ



わたしたちの属する宇宙は自然の成り立ちを熟知する物理学者にとっても


あり得ないほど適正に生命が生まれるための条件を備え成り立っている


それはわたしたちの素になる素粒子がわざわざその条件をもっていることからも確かめられる


この宇宙は素粒子の質量や働きの力が、ほんのわずかでも違っていたら宇宙、存在そのものが無かった


私たちのこの宇宙があり、わたしたちが存在しているという現実

それは科学的にみるとあまりにもあり得ないこと


この宇宙は素粒子がパラメータのほんの僅か違っていただけでも、宇宙そのものが存在しなかった


そうであったなら

わたしたちは、始めの始めからまったくの無であったということになる




パラメータは、コンピュータのプログラムなどに、目的とする値を得るために働きかけるものです


ところが驚くことに


このパラメータという言葉が仏教、つまりお釈迦さまの悟りにも使われている


それは般若心経のはじめに

摩訶般若波羅蜜多心経

とある「波羅蜜多」

はらみた

パーラミータです。


パーラミータは仏になるための修行であり目的を得るために働きかける修行、つまり値


ある日、偶然とはとても思えないこの符合に気づいた時、この世界の実相が、また近づいたと感じました。


わたしたち人類はそのパラメータがほんの少し違うだけで意識を持つ生命としてここに存在しなかった。


繰り返しになりますが

般若・プラジュナーは

全てを見通す智慧であり


波羅蜜多・パーラミータは

仏・悟った者に至る修行(変数)のこと


パーラミータが求める悟りへのプログラムの動作を制御するための変数であり


これを仏陀は2500年も前にこの悟りの世界を併せもつこの世界の実相として、わたしたちに伝えるために遺してくださったのです。