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量子は波動と素粒子をあわせもった波粒の存在
仏教のなかにあるこの世界の実相を現したものが
色即是空
色(しき)物質
空(くう)は何も無い
つまり色即是空は
物質が全く何も無いと同じだという意味になる
これは場にたいする存在を現している
場と物質(波粒)
宇宙の始まりは138億年前であると現在の科学では考えられている
始まりが在った
ということは
この今の宇宙が在る
以前が在ったことになる
以前は「場」だけで何も無い
その何も無い場からどうして宇宙が現れたのか
ここでもう一度量子に戻る
色即是空の波粒がいっしょだよに戻って考えると
宇宙が始まる前と繋がる
それは
物質があるこの今の世界と
宇宙ができる前
つまり何も存在しない場
とが繋がる
この世界そのものが
そもそも何も無い
波動から出来ている
それはもともと何も無い
時間も空間も物質も
何も無い
例えれば存在そのものが
はじめのはじめから無い
在るのはひとの思考
意識
心
つまり物質では無い
ひとの思考だけが存在する
量子(素粒子)は人が
観測する前は波動
観測する瞬間や
観測する予感で
物質化する
波動は場にある
波動エネルギー
つまり見えないもの
物質では無い
時間では無く
場に対しての波動
永遠に変化は無い
場には時間も空間も無い
場に在るのは
永遠の思考
時間が無い永遠
時間が無いのに
永遠であるとは
場自体が無限に
ひろいということ
すべての出来事が
同一に場に存在する
「場」
とは何んだろう
人がなくなっても
場はそのままにある
場にはすべてが無限に
時間の無い永遠に
存在や出来事が在る
それはひとである
わたしが無限に創り出した物事も存在する
無限には無限の出来事や物事が始まりも無く存在する
それはわたしのパソコンにある記憶装置のデータの様に時間に関係無く同じひとつの「場」に存在している
そのひとつの「場」から取り出すことができるのは
自分自身
つまり「わたし」
同一場のなかから
無限の事象のなかから
取り出せるのは
わたしなんだ
雨上がり
たなびく雲
光輝くふちどりが
幾重も流れ
眺めていた
そう想った
波羅羯諦
光の世界へゆけるとき
菩提薩婆訶
悟りを得られ高次元の存在へ
PAMにおける、ひとつの視点として
人生のターニングポイント
があると思う
あの時のあの状況や
行った行動
悲しみや喜び感情
必ずしも良いものではないが
ひとりの人間としての
総体
そのひとを
その人たらしめている
ポイントがある
幾つもそれはあって
ひとつで
それが
その人たらしめている
わけではない
そして
それは
必ずしも
思い出したくもない
わすれたくない
でもない
但し
可能性だけを
折っているのは
悲しい
人生は
ほんとうに
一度だけ
永遠の世界の
ほんの
そのなかで
希望を
PAMは
灯せるのだろうか
わたしはこの
人生で
心から喜んだ
記憶がない
と気づいた
わずかな
こと
ささいなこと
それを喜ぶ
そこから
はじめよう
楽しいと嬉しい
むねのうちに
生命というかたち
そのかたちが
なくならない
という
そのじぶんという個が
永遠であってほしい
ずっと生きたい
のか
その「永遠」のときを
考えたとき
の答えは「耐えられない」
だった
その自分でずっと
永遠にずっと
生きつづけたい
という問いの
その永遠は
それは永遠に生きていたい
ではなくて
あの日のあの時
つまりあの子や
あの人や
自分にも
もっとやってあげられたり
もつとやれたことだったり
もっと楽しくだったり
そんな特別でもない
事がらをもっと
やれてたら
という今の
今になって
のそんな
想いの
立ち上がりがあるからなんだ。
あそこへあの時のあの状況で
そこでもっとやってあげられたこと
それが
今
現在のじぶんに
だだをこね
波のように
わきたってくる
からなんだ
それは
人生をやり直したい
わけでもなく
長生きがしたいわけ
でもなく
やり残し
ただそれだけ
そう
やっとそれに気づいた
だけ
あの時なら
できたのに
という
後悔
「あんなに時間があったのに」
それが
正体














