カタールワールドカップ(後編)⑩ 2 日本ースペイン 1 #2326 | 大日本文化革命連合亜細亜共同戦線の石原マリアンヌのブログ

 後半が始まりました。長友佑都に代えて三笘薫を、久保建英に代えて堂安律を投入しました。長友はいわゆるウイングバック(WB)の位置に配置されていると思われますが、この起用法は正直に記して疑問を感じます。長友は本来はサイドバック(SB)の選手です。SBよりも位置が高くなるWBに配置することはリスクが高いのでは…と思います。三笘はそのままWBの位置に配置されることになるのですが、三笘はそのことを受け入れているのか…ということがずっと気になっています。少なくともアジア最終予選ではWBよりも高いサイドハーフの位置で起用されていました。本大会においては、奇をてらった起用法として相手が戸惑っている部分もあり上手くいっていると思います。しかし、長期的な視点で見たら通用しなくなるのでは…と懸念しています。

 持論が長くなり恐縮です。試合に戻ります。後半3分、スペイン陣内にて前田大然がスペインのGKウナイ・シモンに猛烈なプレスをかけることによりシモンのクリアは中途半端なかたちになりました。伊東純也がボールを拾い、堂安へ渡しました。そして、堂安がペナルティエリア(PA)のやや外から強烈なシュートを放ち、ボールはシモンの手を弾きゴールネットを揺らしました。感激のあまり涙を落としました。エクスタシーにも似た興奮のあまりに自宅のTOSHIBA製のTVに抱きつきました(笑)。夢の情景でした。世界の強豪スペインから得点をあげたこと、前田が積極的なプレスをかけたこと、スペインの中途半端なクリアを伊東が拾ったこと、そして…堂安がアノ位置からシュートを放ったこと。今までの日本サッカーでは見たことがない情景でした。特に堂安がアノ位置からシュートを放ったことは特筆すべきことです。今までの日本サッカーではアノ位置から更にパスを2回・3回とまわしてその隙に相手が守備を固めて得点には至らない、というかたちで終わっていました。また、PAに侵入して絶好の決定機となっても「急にボールが来たので」というよく分からない言い訳をした選手もいました。この某選手は人を活かす動きを持ち味としていましたが、FWとしてフィールドに立っている以上は貪欲に得点を狙って欲しいといつも思っていました。一方で、堂安は試合後に以下の言葉を残しています。
「あそこは俺のコース」
強気とは少し温度の違う言葉が私の心に深く刻まれました。強気・ビッグマウスとは異なる強靭な言葉に、明治維新のことを初めて教わったときのような新時代の幕開けを感じました。
 後半6分、日本が再び大きな歓声に包まれます。田中碧から右サイドの堂安へボールが渡り、堂安は左へパスを供給しました。ラインぎりぎりのところで左サイドの三笘薫が足で折り返しました。ボールに対して田中が押し込みゴールネットを揺らしました。ラインぎりぎりのところを折り返した三笘が素晴らしかったことは幾度も報道されています。私は、田中がPAの奥深くまで走っていたことに感激しました。田中のポジションはいわゆるボランチであり守備力に重点が置かれています。それでも、堂安にパスを出してPAの奥深くまで走っていました。その姿に新時代の胎動を感じました。とある漫画の「よくぞ走ってた三井ー」という台詞が思い起こされて、歓喜の瞬間なはずなのに感傷的な気分が広がる、という不思議な感情に包まれました。歴史が変わる瞬間というのは、どんなに嬉しくとも頭の理解が追いつかずに感情がぐちゃぐちゃになってしまうものなのかもしれない、と思いました。
 その後は、スペインがボールを保持した状態で試合を進めます。後半15分、三笘がスペインのFWフェラン・トーレスと対峙しているのを観たら感激しました。ワールドカップの舞台で世界的に有名な選手と日本人選手が対峙するー私がサッカーに対してより強い興味を持つようになった2000年代中盤以降から追い求めていた原色の情景だったのかもしれません。
 時計が進むのを待つ度に鼓動が高鳴るのが分かりました。視線を外すことが出来なくなりまりました。そして…試合終了の笛が鳴りました。選手たちは歓喜の声をあげていましたが、私は夢の情景と原色の情景に出逢えたことで甘い意識の淵で心地よく溺れていました。
 甘い意識の淵で溺れていた私も現実の仕事に向き合わなければなりません。しかし、どのような仕事をしたか憶えていないほど金曜日は堂安の得点の瞬間が頭のなかで何度も何度もReplayされていました。
(終わり?)

※選手名は敬称を略して表記しております。


スポーツ報知さまより。

喜びのあまり購入しました。