音楽編677 孤独なカウボーイ 矢井田瞳 #692 | 大日本文化革命連合亜細亜共同戦線の石原マリアンヌのブログ

詩…7

メロディー…7

サウンド…7

構成…10

総合…31



矢井田瞳さんは音楽界における「天才」であると私は思っています。天才の定義は様々でしょうが、私は「天才とは誰も出来ないことを行う人間である」と定義しています。本曲は楽曲の構成に天才性を感じました。
本曲を構成しているのは
矢井田さんのボーカル
E
・ギター
シンセサイザー
ストリングス
A
・ピアノ
E
・ベース
タンバリン
ドラムス
8つの楽器です。しかし、管弦楽団の様な音の厚みを感じてならないのです。また、演奏時間も411秒と決して長い時間ではないと思うのですが、15分くらいの演奏時間があるクラシックの名曲の様な壮大な深みを感じてならないのです。この構成の素晴らしさを「天才」の一言で片付けてしまうのはあまりにも勿体ない話です。未熟な私なりに全身全霊をかけて述べていきたいと思います。
冒頭は「Da la la」と歌われながら始まります。多くの楽器が奏でられているようで厚みを感じます。場面が移り「またひとりでに今日も 夜が明けて行くの」という部分では歌声と伴奏が奏でられているのですが静寂な印象を受けます。音によって「孤独」を表現しているのかもしれません。そして、本曲の心臓部の「Da la la…今なら全て 抱きしめられる~」という部分では、冒頭と同じ様に音に厚みの増す展開が繰り広げられます。次は展開ががらりと変わります。「偽りのストーリー 群がるギャラリー~」という部分にあたるのですが、サイケデリックな音の作りをしている印象を受けます。本曲においても異色に感じられるところです。しかし、この部分が絶妙なスパイスとなっており心に残ります。サイケデリックな部分を過ぎると「ここよりどこか遠くへ 何も見えなくなるまで」という以前に奏でられた部分の繰り返しとなります。そして「Da la la…lonely cowboy」と歌われながら、曲の幕は閉じていきます。4分の間に展開が目まぐるしく変化していくところが壮大な深みの本質だと私は思いました。
言葉においても、印象的なものが二つあります。一つは「美しいものが好き」という言葉です。「美しいもの」を好むのは人間の本能なのだと思います。しかし、楽曲中に書いてしまうのは傲慢な気がしました。もう一つは「正義の裏切り」という言葉です。今の時代「正義」という概念ほど曖昧なものはありません。正義や良識を司るべき機関の不正が後を立ちません。これらのニュースを観る度に「正義の裏切り」という言葉が身に染みます。影響力の強い言葉でした。
本曲は楽曲の構成により矢井田さんの天才性が体感できる素敵な一曲です。