広島県福山市新市町大字相方にある
『相方城』(さがたじょう)です
毛利氏の東方守護の拠点的な城です。
↓↓相方城への地図です↓↓
http://www.its-mo.com/z-124360083-479761431-15.htm
↑↑相方城への地図です↑↑
標高191mの山頂を中心に
東西約1000m南北約500mの範囲に城郭遺構が分布する
大規模な中世山城跡で山頂まで車で行けます。
芦田川を挟んで正面の亀寿山城を本拠地として
備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏
その宮氏で分家した一族が内紛により有地氏を名のり
毛利氏とともに本家の宮氏を滅ぼします。
その後、毛利の惣国検地で出雲や備後北部に
給地替えされるまで相方城や他の城砦を拠点とし
有地氏が当地を支配しました。
有地氏が給地替えした後は
毛利直属の鉄砲隊である中間頭田中四郎右衛門などを
番衆とする直轄城として
文禄から慶長年間の10年間で主郭部を総石垣に整備しました。
相方城址は山頂付近の中心的な曲輪群が総石垣で築かれて
城内各所で瓦も出土しています。
石垣は打込接です、出隅の算木積みが未発達です。
試掘調査により1間2間の瓦葺の掘立柱建物が検出されました。
瓦は天正初期(1570年頃)の瓦で
この瓦は麓の素盞雄神社にも使用されており
神社所蔵の鬼瓦には天正11年に相方城主とされる
宮之(有地)元盛が拝殿の上葺をした事を示す銘があります。
素盞雄神社には相方城から移築されたと伝わる
城門二棟があります。
↓↓素盞雄神社への地図です↓↓
http://www.its-mo.com/z-124377952-479815040-15.htm
↑↑素盞雄神社への地図です↑↑
相方城は15世紀末から16世紀前半に
大規模な中世山城として使われて
天正期(1580年以降)には有地氏によって
瓦葺の建造物が構築され
さらに天正19年から慶長5年の間に
毛利氏が直轄城として主郭部を総石垣にして
東方を守護する防衛ラインの拠点的な城にしました。
関ヶ原の後に廃城になりました。