引越し
livedoorのhttp://blog.livedoor.jp/dannkoma/ に引っ越すことにしました。
もし見てくださる方がいましたらこちらの方に
よろしくお願いします。
才能
でもちょっとでも人より優れた才能というのすら無い。
見当たらない。
何やっても勝てない。もちろん上を見たらキリがないけど、
ちょっとくらいそこらの人には負けないよってのが
あってもいいのに無い。
普通いろいろやってみて、あれ?これ向いてんじゃないか?
っていうのが出てきたらそれを極めようとしたりするものだと
思うけど、向いてるかな?って思ったことがないんだよね。
音楽も聴くし本も読むし漫画も読むけど、
ホント、浅い。自覚してる。
才能が無いんだな。もしあるとしても
何の役にも立たない才能が眠ってそう。
それも中途半端な。
あ、指が人より少し曲がるな。
音楽(金字塔)
好きなCDについて書いてみたいと思います。
中村一義の「金字塔」。
雑誌なんかで天才とか言われてましたが
天才かどうかは別として僕はとても好きで
特に1stである金字塔は思い入れがあります。
1年ほどひきこもっていたという中村一義が
歌詞で「どう?」と語りかける「犬と猫」。
個人的な歌詞だったのが最後の「永遠なるもの」では
「愛が全ての人たちに降り注ぎますように」
と広がっていきます。
僕はこのアルバムの多くの曲が最初の一歩を踏み出すための
曲ではないかと思います。
歌詞は話し言葉風になっていて自然な感じを受けました。
最初に歌詞を見ずに聴いたときは
英語かな?と思ったりしました。
ロックに日本語をのせると何か違和感を感じるのですが、
このアルバムを聴いてみたらその違和感を感じませんでした。
音は誰か評論家が書いていたと思うのですが、
密封した音というのがしっくりきました。
当時は本当によく聞いていました。
最初の一歩を踏み出すための曲が多いと受け取ったと感じたと
書きましたが、僕も一歩を踏み出さないといけない状況が当時あったというのが
さらにシンクロしたのだと思います。
結局僕はなんとかその当時踏み出したものの失敗してしまったのですが・・。
無駄に過ごしてしまった
輝いてる時期のはず・・。
その大半を無駄に過ごしてしまった後悔が
いつもある。
後悔してもしょうがない、過ぎてしまったんだからと
自分に言い聞かせるのだけれど
ふと考えてしまい消えない。
こんな考えてもしょうがないことばっかり
頭に浮かんで落ち込んでるからダメなんだな。
しかし繰り返してしまう。それはもう生活の一部のようになってる。
バカらしいって分かってるのに。
地声
こもってるので、聞き取りにくいらしい。
だから人と話すときは少し高くする。
なんかおかしい。
こう、なんか、媚びてる感じ。
だからと言って地声で話すと偉そうというか、
ぶっきらぼうな感じになる気がする。
暗い感じがする。元気が無いと言われて
「何かあった?」と心配されたこともあった。
聞こえにくいから地声で大きな声にすると
怒ってるようにとられそう。
長年、人と話すときは少し声を高くしていたので
それが染み付いてしまっている。
でも疲れるし、不自然。自分では違和感を感じる。
電話にでる時は少し高めに声を作る人がいると思うけど、
その声で常に他人と話してる。
いつのまにか家族ともその声で話すようになってしまった。
これはあれだろう。
人に嫌われたくないから取り繕って気に入られようとしてるんだと思う。
自然と。いや意識的なのかな。よく分からない。
でもやはり低くとも偽らない地声で話した方がいいと思う。
自分が人と話す時も相手が地声で話す人に好感を持つ。
いや、地声の人に好感を持つというより
声を作ってる人には警戒するような気がする。
女子高生に睨まれる
ぎゅうぎゅう詰めで後ろが女子高生。
痴漢に間違われるといけないので
40代くらいのおじさんのほうにピタリと張り付いた。
何事もなく降りる駅に着いて降りようとしたとき
女子高生がすごい怒った顔してる。
でも僕の後ろにいた女子高生じゃなく、
僕から離れたところにいた人。
何か言ってるようにも見える。
僕に言ってるのかどうか分からない。
でも視線はこっち方面。
そのまま人波にのまれて降りる。
僕に言ってたのだろうか。誤解があったのか。
訳がわからないことで睨まれることは初めてではない。
何度かあった。
喫茶店に友人といたらカップルが僕の隣を通り過ぎて
店を出たのだが、僕は気づかなかったが、
友人が教えてくれた。そのカップル2人とも僕を睨んでたらしい。
すっごい顔で。えええ??
カップルが隣を通り過ぎるまで
その存在さえ気づかなかったのに・・。
僕が睨んでいたように見えたからとかではないと思う。
今日の件もそうだけど、
その女子高生やカップルの方向さえ見なかったから。
いつもこう。なんか巻き込まれたりする。
友人から説教された
言ってることは社会人として真っ当だと思います。
頭では受け入れなければならないと分かっているのですが、
感情が抑えられません。
屈辱感やら何やらで涙ぐん でしまいました。
どうしても素直に受け入れることができず、
醜い感情が渦巻いています。
ここで動くように友達はハッパをかけてくれたのだと思いますが、
バカにされているという疑念が消えません。
時々笑顔が見えたのが勝ち誇ったように見えてしまいます。
落ちぶれていく僕はどんどん卑屈になっていると感じます。
ホント最低だなと自分でも思いますが、
この感情はどうにもならず、
友達とは疎遠になりそうです。
疎遠にならなかったとしても、
ぎこちない接し方になりそうです。
全てに疑念を挟んでしまいます。
僕はまずは物事を受け入れることができるようにならないといけません。
気が重い。あの気持ちはどこへ・・・
公の機関でアドバイスをもらいに行くことになってる。
そのときは熱い気持ちで決意したものの
色々言われんだろなと思うと気が重い。
あの決意したときの熱い気持ちはどこへ・・。
いや、行く・・行くけど・・・自分の気持ちの
決意の揺らぎようにがっかり。
いつもその時はすごい熱くて死ぬ気になろうと思うのに
あっさり揺らぐ。
漫画(リバーズエッジ)
たまには好きな漫画などを書いてみよう。
有名だけど、岡崎京子の「リバーズエッジ」。
全体的な空気として淡々と進行していく。
大きな事件が起きるのだけれど、
それでもただ淡々と進行していくと感じる。
それは生きている実感が無いという空気感をかもし出しているのだと思う。
その象徴的なものが竹やぶにある死体で、
ゲイでいじめられっこの少年はそれを宝物と呼ぶ。
少年は自分が生きているか死んでいるかわからないけれど、
その死体を見ると勇気がでると。
それでも主人公の少女は実感が湧かない。
「もしかしてわたしはもう死んでてそれを知らずに生きてんのかなぁと思った」
僕は正直言って生きている実感が無いというのが、
この本を読んだ当時いまいちよく分からなかった。
辛い事があると実感もなにも辛いと。
しかし僕はよく感じていたのが、
全てはママゴトのようだと思っていた。
学生は学生役、会社員は会社員役、店員は店員役を演じているように感じていた。
それぞれ課された役を演じているように感じられて、バカらしいというような感じ。
これがこの漫画で書かれている生きている実感がないということかもしれない。
全然違うかもしれないけど。
僕は真剣のつもりでも実は一生懸命になれなかったのは
この芝居のように感じていたからかもしれない。
でも芝居で役目があるならその役を全力で演じなければならなかった。
話がそれたけれど、この漫画の淡々とした感じ、
何かが欠落している登場人物たち、絵、とても好きな漫画だ。
漫画の中やあとがきでも書かれている文学的な文章もとてもいい。
「惨劇が起こる。しかし、それはよくあること。
よくおこりえること。チューリップの花びらが散るように。
むしろ、穏やかに起こる。ごらん、窓の外を。
全てのことが起こりうるのを。
(略)平坦な戦場で僕らが生き延びること。」
あとがきから引用。とてもいい。感想になってないけど・・・。
防衛心
バスに乗っていて降りる停留所じゃないのに
ブザーを押してしまった。
運転手に謝ったが運転手は無言。
昔はこういうことがあったらその日は
恥ずかしさやら何やらで落ち込んでいたものだけれど、
その場でもそんなに気にならなかった。
それが当たり前なんだろうけど、
昔はほんとにちょっとしたことで落ち込んでた。
今も人から見たらどうでもいいことで落ち込んでいるが、
昔に比べたらマシだ。
何でも悪いほうに取ってしまうので
頭の中でその感情に反論するようにしたことも影響あるのかもしれない。
例えば誰かと一緒にいる時にその人が不機嫌そうだったら
自分のせいだと思い込んで落ち込んでいたが、
いや、そうとも言い切れない。僕と会う前に何か嫌な事があったかも知れない、
そう見えるだけでこの人はこれが普通なのかもしれない、
などと当たり前のことを自分の中で反論するようになった。
もっとも、そんな反論なんか効かないなんてことは
多々あるけれど・・・。
僕には強さ、打たれ強さが足りない。
自分を過度に守ろうとする癖があるのだと思う。
過剰な防衛心を打ち破り、どうなったって いいやって思うくらいが、
僕にはちょうどいい。
それが難しいのだけれど・・。
