徒然なるままに

徒然なるままに

うつになり、会社に簡単に切られました。
次は休みながらも雇っていただいたアルバイトしていましたが、体調悪化により断念。
昨年は秋に入院し、その後半年以上寝込み、今に至ります。
取り敢えず、寝込まないようにしたいです!

 葬儀の手配などを終えて為すべきことをと、先ず年金事務所へ電話をし予約をした。予約が取れたのは、一月以上先だった。。


葬儀が終わった後は、市役所のお悔やみハンドブックに従い一つ一つ進めていった。

市役所の手続きも一日で殆ど終わった。もう一度来なくとも郵送出来るよう配慮もされた。


公共機関の名義変更は電話で済ませることが出来た。携帯電話は、そうはいかなかったけど。。

銀行と郵便局は、戸籍が必要だったり通帳を預けたりと色々面倒も多かったようだが、この時は体調崩し気味で殆ど携われなさなかった。一件父がおこづかいを以前は預けていて現在は放置されていた口座は今も放置のままだ。ここも面倒なのかなぁ???

保険は県民共済とアフラックで随分と手続きが異なった。と言うか、アフラックの診断書に一ヶ月以上かかることになり進捗も随分と異なった。また同じ医療保険でも死亡でお金が入ることもあれば全く関係ないこともあるのだと言うことだった。


さて予約の日がやっと来た年金事務所の結果は、現実は厳しい だった。話しでは7割くらいは遺族年金が貰えるらしいと言う風に聞いていたのだが、実際には半分だった。。これは父の企業年金が全く入らないことに起因する。予定は未定だが、なかなか厳しいことに変わりはない。


四十九日が済んた頃には、殆どの名義変更等の手続きが終わっていた。


そして、大本命?の父の実家の土地の相続登記の手続きに着手することになった。ハッキリ言って何をすべきか何て全く分からず、そしてコネもない。なのでAIに色々教えて貰いながら一つ一つ進めている最中だったりする。でも何とか終着点が見えて来たので、何とかなりそうだ。(相続登記だけならぱ。。)

問題は、相続する予定の人間に後継者がおらず、実家の人間にも後継者が居ない状況であることだ。2,30年先にきっとあの土地は何処に受け継がれることになるやら。。

家族の中だけは手放したい旨の確認は取れている。流石に車で片道5時間かかる土地の管理は勘弁だし、実際父はおじに丸投げだったようだ。


私達は土地の管理について何も知らなかったし、相続登記に関して司法書士にもツテはなかった。父にはあったようだが、引き継いでいなかった。。今回は父の実家が協力的であり、尚且つ管理もしてくれていたからラッキーだっただけだと思う。

実際問題、現実を見に行くことも必要だ。だけど片道5時間に、末梢神経障害で歩きの覚束ない母を連れて行くのは大変だ。また自分もいつ体調が悪くなるか分からない。そうなると弟の負担が増大する。。


実際問題、父が倒れた時には私は半年寝込んでいてやっと少し起き上がれるようになった頃だった。意識のない父を毎日見舞いに行くのも体調的にはキツかったが、行かない選択肢はなかった。とは言え、母と弟に任せて家で寝ている日も確かにあったが。。


纏まりがないが、父が亡くなり色々な手続きをしている最中の備忘録。

父が急逝しました。 


現実を受け止められず、文章になるまでに時間がかかりました。それでも未だに父が居ないという現実を受け止められているかと言われると正直分かりません。

四十九日が終わった時、一区切りとして下記の文章を纏めました。記録として残しておきます。


 今日は四十九日の法要と納骨でした。


 私は昨年末から約半年寝込んでいて、やっと少しずつ起きて行動出来るようになったその頃でした。その日の父は夜トイレに起きて少しおかしかったのですが、結局そのまま布団に入ったのですが、次に起きた時にはベットから落ちてました。自力では起き上がれず、起こそうとしましたが起こすことが出来ずに困り果てて、119番に電話しました。


遅ればせながら気が付いていたのですが、右半身が動かない様でした。だから起き上がれなかったのだと。。

 日付が変わってから、救急車で病院へ。不幸中の幸いか頭部の出血量が20mlで手術はせずに済みました。でももても苦しそうで、そして上手く喋れないようで伝えたいことが伝えられないジレンマと痛みなのかとても辛そうで、見ている方が辛くなりました。


一応、状態の安定とリハビリで数ヶ月から半年かかると言われ、その日は朝方帰宅しました。午後お見舞いに行くと、一転、出血量が30mlを超え急遽カテーテル手術が行われていました。この時既に意識はなく、瞳孔が半分開いていると伝えられていました。


これで落ち着けば良かったのですが、出血が止まらず翌日緊急開頭手術となりました。


毎日ICUに家族で意識のない父のお見舞いに行っていました。

約2週間経つ頃、状態が安定してきたので一般病棟に移れそうだと言うお話を頂き、ホッとしたのも束の間、翌日早朝病院から呼び出しがありました。


その日が父の命日となりました。家族で見送ることが出来ました。 

その後は慌ただしく、父を家に連れて帰りました。

今でも父を家に連れて帰ってきたことは英断だったと思っています。


 葬儀場の関係で一週間後に葬儀を行いました。大分具合の悪くなった父の義姉が息子さんと一緒に葬儀に参列してくれました。有難いことです。


 無事葬儀を終えた後は、手続き関係と父の親しくしていた関係者への連絡、弔問、香典返しの手配でした。 

 日々忙しく、私は未だ父が亡くなった事実を現実として受け止められているのか分かりません。 


 それでも今日父は仏様になりました。 


 まだまだ香典返しの手続きも全ては終わっていませんし、父の実家周辺の土地の相続問題もこれからです。


まだまだ為すべきことは沢山ありますが、やっと四十九日で一区切りです。