緊張している中、
看護師さんと先生に囲まれながら、
麻酔の点滴を入れてもらった。
入れた直後、視界がぼやけて来て直ぐに意識が無くなった。

直後、名前を呼ばれ起きてみると、
酸素マスクを当てられていることに気づいた。
知らないうちに手術が終わっていた。
麻酔から目覚めるまで約2時間経っていた。

普通の睡眠時であれば、眠っている間は
いくらか時間が経っている感じはあるのだが、
麻酔はその感じが全くない。
人それぞれだと思うが、一瞬の出来事のような感じだった。

麻酔から目覚めた後、まず感じた感覚が「不安」だった。

幸い、吐き気など麻酔の副作用的なものはなかったのだが、
自力で動けないことが、MRIで感じた不安感とかなり類似していた。

また、酸素マスクもなんだか苦しい感じがした。

手術後に運ばれた病室が「回復室」という、
大きな手術をしてきたばかりの方達が入る
普通の病室とはちょっと異なった病室だった。

そんな中、当然落ち着くことはできず、
不安感がどんどん高まり、携帯やテレビ等見る気にもならない状態だった。
更に、高齢の方の痰を取る機械の音や、
麻酔の副作用で吐いている音が聞こえる等が、
不安感を余計に助長させていた。

しばらくすると、寝返りをしたくなったのだが、
当然、手術直後の為、自分では動くことができず、
看護師さんを呼び、横向きにさせてもらった。

その際、手術の傷口付近にある、血抜きの管を刺している部分に
看護師さんが触れ、何とも言えない激痛が走った。

だが、この激痛が不安感を少しだけ軽減することになった。

その後、何度か寝返りをさせてもらい、夜になった。

麻酔は覚めていたのだが、意識は若干朦朧としており、
眠気がずっと続いている状態であったにも関わらず、
不安感が眠気に勝り、眠ることができなかった。

何度かウトウトしていたのだが、
やはり眠ることができず、0時位になったところで
看護師さんに精神安定剤の点滴をして欲しい旨を伝えた。

その後、何分か経った後、
安定剤と睡眠導入剤と痛み止めが入った点滴を作ってくれ、
その点滴を打つことで、眠りにつくことができた。

しばらくして目が覚めた。
朝になっていると思っていたのだが、
まだ夜中の3時。

ウトウトを繰り返し5時位になったところで、
また不安感が襲ってきた。

先程と同様の点滴を打ってもらいたい旨を看護師さんに伝えたが、
もうちょっとで朝になるのでもうちょっと頑張って欲しいと言われ、
渋々承知した。

するとしばらく経ち、
先程の看護師さんが点滴を持ってきてくれた。
「辛そうだからやっぱり打っちゃいましょう」
と。

この時の看護師さんは天使に見えた。

今度目が覚めたのは8時位。

その後、点滴を打ってくれた看護師さんが薬を持ってきてくれた。

自分で飲むのが大変だからだろうと、
薬を出してもらい口まで運んでくれた。
5錠位だったので一気に入れてもらって大丈夫だと伝えたが、
喉につかえたら大変だからと、1錠ずつ飲ませれくれた。

この看護師さんはとても美人だったことと、
昨日のこともあり、
入院患者が看護師さんに惚れるというのが
とても分かる気がした。

薬を飲んだ後、精神的にも安定し、
何時間か眠ることができた。

その後、日勤の看護師さんに代わり、
手術後は膀胱まで管を入れていた為、
感染予防の意味で、
下半身を石鹸で洗ってもらった。
とても恥ずかしい体験だった。。

洗ってもらった後、回復室から一般の病室へ移ることになった。
理由はとしては、
大きな手術を終えた患者が新たに回復室へ入ってくることになり、
この時、自分が一番手術後の経過が安定していた為だ。

またあの狭い病室に戻るのかと思うと、
若干不安な気持ちになった。
回復室はベッドが4つで比較的ゆったりしていたが、
一般病室は同じ面積で6つのベッドがあり圧迫感があったからだ。

一般病室に戻り、しばらく不安感と戦っていたら、
看護師さんがきて、膀胱に刺している管を抜くことになった。

抜くこと自体は良かったのだが、
自由に動くことが難しい中で、この後どうやって小便をすれば良いのかと
ちょっとだけ不安になったが、
すぐにその不安は解消された。

「血抜きの管以外は全て外すので歩きましょう」と。

まだ回復室から一般病室に移ってきたばかりだった為、
自分の耳をちょっと疑ったが、
歩けるようになることは嬉しかった。

入院の時に持参したコルセットで血抜きの管を固定し、
点滴棒を支えにして、早速立ってみることにした。

血抜きの管が神経に干渉しているのか、
動きによっては、激痛が走ることがあったが、
看護師さんから立ち上がるコツを聞き、立つことができた。

とても開放的な気持ちになった。

その後、看護師さんについてもらいながら、
試しにトイレまで歩くことにしてみた。

痛みと、背骨が固定されていないような違和感の為、
思っていた通りには歩くことができなかったが、
何とかトイレまで行き、用を足すことができた。

これで一安心だ。
一時帰宅。
帰宅してまずしたことは湯船につかること。

この時には痛みがほぼなかったので、
ほぼ普通の生活をしていた。

夜は好きなテレビをイヤホンなしで見たり、
家族で車で買い物いったり。

・・・という生活を送りながら、
楽しい時間はあっと言うまに過ぎ、再入院の日を迎えた。
(実は平凡な生活を送っていたため、特に記事に書くことがなかったり・・・)

再入院。
今まで入院していたベッドとは違い、
病室も替わり、窓際のベッドでも無くなった。

左右にベッドがある、真ん中のベッドだった為、
若干圧迫感はあったものの、気にはならない程度だった。

明けて次の日、
麻酔科医の方に手術を行う際の説明を受け、
その後、手術の内容を執刀医の先生が属するチームの
他の先生から説明があった。

実際説明を受けると、ちょっと不安な気持ちになる。

手術の前日、
普通の日と同じく、スマホゲームやテレビを見ながら過ごす。
夕方になり、お風呂に入るように言われた。
手術の前日の為、すみずみまでキレイに洗った。

その後、手術前の最後の食事がきた。
この日の食事は生姜焼き。
おいしく頂いた後、夕方に1階のコンビニで買ったシュークリームを食べた。

食後、いつも通り歯磨きをした後、
弾性ストッキングを履くように言われ、寝る前に履いた。
全体的に締め付けるような感じだったが、そこまで違和感は無かった。

ちなみに、なぜストッキングを履くかというと、
手術前後は自由に動くことができない為、
エコノミー症候群を防止する為に履くらしい。

この日はあまり眠れないと思っていたが、普通に寝れることができた。

明けて手術当日。
朝から食事はもちろんのこと、水分も取れない。
普段から水分はあまり採らない方だが、
飲みたくても飲めない環境というのはちょっと辛かった。

その日の朝、手術中に漏らさないようにと浣腸をした。
3分以上我慢するように言われたのだが、
1分位で耐えられなくなり、トイレへ駆け込んだ。

もうちょっと我慢した方が良かったのかと思い、
ちょっと不安になり看護師さんに話したが、
あっさり「大丈夫ですよ」と。
もう一回浣腸をすることにならず、安心した。

その後、ドキドキしながらテレビを見つつ、
時間が過ぎていくのを待った。

手術は14:30位からということで、
妻には14:00位に来るように言っていたのだが、
なんと、予定よりも1時間早く、
13:30に呼ばれてしまった。

手術の時間が早まった事を妻へメールで伝え、
ストレッチャーに乗って手術室へ。

かなり緊張してきた。
12月31日。
妻と子どもたちは妻の実家へ。

当然と言えば当然だが、やっぱり寂しい。。。

一人で年越しというのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
(他の患者さんもいるし、看護師さんもいる為、厳密に言えば一人ではないが。)

でも、実際その状況になってみると、そこまで嫌なものではなかった。

病院のベッドの上でひたすらスマホゲームかテレビを見ていたのだが、
この日は痛みがそこまでなかったこともあり、だいぶのんびりとした大晦日を過ごすことができた。

のんびり過ごしていると、いつの間にか夕食の時間になっていた。
大晦日の食事は"そば"が出るのかと期待していたが、
何の変哲もない、普通の食事だった。
残念。

この日は食事を済ませた後は、
紅白歌合戦を見て、年越しの番組を見て、そのまま眠りについた。

次の日。2014/1/1。
幸い窓側のベッドだったこともあり、初日の出を拝むことができた。

そして新年初の食事。
なんと、おせち料理が三品出てきた。
しかも、お箸は「寿」の文字が入った袋に入った割りばし。
結局、この日の含め、三が日は豪華なメニューが続いた。

三が日が過ぎた1/4。
ベッドに寝たきりで何もしていなかったのだが、
痛みがとても強くなってきた。

入院してからずっとそうだったのだが、
トイレで大をする為力む際、
尋常ではない痛みが左下肢に走り、
涙が出そうなほどだった。

しかも、歩くことができなかった為、
車いすでの移動。

座るのが一番体勢的に厳しかったのだが、
トイレに行く時はいたし方なかった。

トイレで用を足した後、
ベッドに戻って来てはすぐにうつ伏せになり、
枕をギュッと握りながら、痛みが通り過ぎるのを待つ。
ということを続けていたのだが、
そろそろそれに耐えるのも限界に近づいてきた時期だった。

1/6月曜日。
この日は年始初めての診察日ということで、
早速三度目のブロック注射。
今回のブロック注射も、前回・前々回と同様に一定の効果があり、
痛みがだいぶ収まった。

その後、ミエログラフィー(通称ミエロ)。
人によって様々だと思うが、
個人的にはこの検査は半端なく辛かった。

まず、背中を丸めて針を刺すのだが、
その針がすっごく太く、ナイフで刺されたような痛みが走る。
その後、造影剤を入れるのだが、
刺されたところをナイフでグリグリやられる感じの状態で、
3~5分程度時間が過ぎた。

終えた瞬間、脂汗がビッショリで、両方の掌は爪の後が赤く残っていることに気づいた。

その後、ストレッチャーに乗ったまま、
CTの撮影室まで運んでもらい、CTをとり、病室へ戻った。

この日はベッドに戻った後、
ベッドの頭を30度位まで上げ、絶対に頭を下げてはならなかった。
頭を下げると、造影剤が脳まで届き、ひどい頭痛が一週間ほど続いてしまう為だ。

看護師さんの言いつけ通り、頭を下げることはせず、
水分をたくさん摂って造影剤を早く出すように心がけた。

その後、1/9までは痛みが少ないまま、
スマホゲームを楽しみながらのんびり過ごし、
手術日が1/20であることから、
1/10には一時退院の許可が降りた。

1/10。
この日は何故か、朝から頭が激しく痛かった。
造影剤が頭に回ったのかと思い、看護師さんに話したところ、
検査から数日経っており、前日までは何もなかった為、
造影剤が原因ではないだろうとのこと。

どうやら寝たきりでいきなり立ったことで、
頭痛がしていたようだった。

朝起きてからしばらく痛かったが、
退院する時間にはほぼ収まっていた。

そして、待望の一時帰宅することができた。




12月27日。
痛くて目が覚める。
っていうか、この痛みでなぜ眠れていたのかが不思議な位だ。

前日よりも左下肢全体に痛みを感じる。

どの体勢でも痛い。

すぐに会社に休むことを連絡した。

念の為、前日に妻の母親に来てもらえるように依頼していた為、
10:00頃、お義母さんが来てくれた。

その後、すぐに救急車を呼び、子供達のことはお義母さんに任せ、
マンションの階段を救急救命士の肩を借りながらゆっくりと下って行き、
妻同乗のもと、予め連絡しておいた掛かり付けの大学病院へ搬送してもらった。

家の中にいた時はあんなに痛かったのに、
なぜか救急車にのった途端、不思議な位痛みが消えていた。

数分後、大学病院に到着。

この日は、年内最後の診療日ということで病院が混んでいたが、
救急入り口から、専用の診断室にストレッチャーで運んでもらった。

この日は年内最後の診療日だったこともあり、
特に治療はできないとのことだったが、
家にいても家族に迷惑をかけるだけだと思い、
このまま入院させていただくことにした。

病室の準備ができるまで待つことになるのだが、
病室に行くまで不思議なことに痛みは出なかった。

病室の準備ができた。

6人部屋だったが、自分を合わせても三人しかおらず、
窓際に面している良いベッドだった。

入院の準備等を妻にしてもらい、しばらくベッドで休んでいたが、
しばらくすると痛みが出てきた。

あのまま痛みが無くなってくれれば良かったのだが・・・。

妻が入院手続きを済ませ戻ってきた。

特にしてもらうことが無かったので、
水とテレビカードを買ってきてもらい、家に帰ってもらうことにした。

久々に一人の時間。

時間はゆっくり流れるが、痛みでそれどころではない。

しばらくするとトイレ(小)に行きたくなってきた。
ここで初めてのナースコール。
ボタンを押すと「エリーゼのために」が流れた。

「はーい」という看護師さんの声が聞こえた後、
尿瓶が欲しいことを伝え、すぐに持ってきてもらった。

早速尿瓶に尿をしようと思ったが、
どんな体勢でも辛い為、どうやってするかちょっと悩む。

結局ベッドの上に膝立ちになり、壁に手を当て、
もう片方の手で尿瓶をもって用を足した。

用を足したは良いが、無理な体勢だった為か、
左下肢に激痛が走る。

ちょっとうめき声を上げてしまったが、
何とか耐えて、元の体勢に戻った。

そんなことを繰り返しながら夕方になった。

17:00位に夜勤の看護師さんが挨拶にきた。
20歳前半位の子だろうか。

色々なことを聞かれ、体温と血圧を測った。

その後、夕食の時間。
入院後、初めての入院食。

起きて食べれない為、ご飯はおにぎりにしてくれたらしい。
病院の気遣いにちょっと関心した。

今考えてみると、食事の時の姿はすごかったと思う。
仰向けにもなれなかったので、うつ伏せのまま、
犬みたいに食べていた。

食事を終え、やることが無くなると同時に
痛みがすごくなってきた。

この時、初めて痛み止めの点滴を打つのだが、
いつでも点滴を打てるように、柔らかい針を血管に刺したままにする。
もちろんずれない様にテープで固定。

はじめは付けているのにちょっと違和感があったが、すぐに慣れた。
寝るときにちょっと邪魔になるがそれほどでもなかった。

その日は何とかそのまま寝付くことができたが、
入院何日目かの夜。
夜中に痛みで目が覚め、ナースコール。

痛みで寝れないことを伝える。
するとしばらくして、今までとは異なる点滴を持ってきてくれ、
すぐに腕に刺したままのチューブに点滴を流してくれた。

数秒経った後、
いきなり眠気が襲ってきてそのまま朝までぐっすり。
今思うと「ペンタジン」という点滴だったのだと思う。

翌日と翌々日に、それぞれ妻・長女・両親等がお見舞いにきてくれ、
なんだかんだで12/31を迎えた。




二回目のブロック注射を打った後、
比較的症状が安定し、気がつけば12月に入っていた。

仕事では新しいサービスの立ち上げを担当することとなり、
現在の業務を行いつつ、取引先等との打ち合わせを繰り返していた。

この時の症状としては、痛みはないものの、
左下肢、特に左側の臀部の感覚がだいぶ鈍くなっていた。

しかし、日常生活への支障はあまりなく、
仕事もプライベートも忙しかった為、
このまましばらくほったらかすことにした。

12月23日。
この日はクリスマス・イブ前日の天皇誕生日。
久しぶりに長女とデートすることにした。
※長女は小学校二年生

場所は、子供の頃に、何かにつけて良く行っていた池袋。
本当は水族館に行きたかったのだが、娘の要望でジャンプワールドへ。

行ってみたは良いものの、
テレビ等で宣伝している割にはかなり空いていたのでちょっとビックリ。
正直、入場料の割にアトラクションがしょぼい印象を受けた。

ジャンプワールドでは、あまり遊ぶところが無かった為、
そのままサンシャインをブラブラすることにした。

何かイベントやっているかなーと思いつつ噴水広場へ向かったところ、
人が大勢集まっていた為、大勢の人と共に、そこでしばらく待つことにした。

しばらくすると、ベッキーが出てきた。
少しのトークをした後、何曲か歌を歌うようだったので、
その場所で最後まで歌を聞いた。

その後、小腹が空いた為、
学生時代に良く通っていた「ミルキーウェイ」へ。

10年以上行っていなかったのだが、
何も変わっていなかったことにビックリした。
メニューは相変わらずサイズがでかい。
娘は大きなパフェ。自分はアイスコーヒーを飲んだ。

ちょっと歩き回ったせいか、
若干、痛みというか違和感が左下肢全体に広がっているように思えた。

この日はこのまま自宅へ帰り、特に症状が悪化することがないまま就寝・・・。

次の日、朝起きてみると痛みがだいぶ酷くなっていることがすぐに分かった。
痛みで会社へ行けないのではないかと思うほどだ。

しかし、いつも通りに出かける支度をしているうちに、
痛みが軽減しているように感じ、何とか会社へ辿り着き、通常通り業務を行った。

その日の帰り、最寄り駅の改札を出て歩いている時に激痛が走った。
もうこれ以上歩けないと感じたほどだ。
だが、だましだましゆっくり歩き、何とか自宅へたどり着くことができた。

着くやいなや、立っていることが辛くなり、
倒れこむように玄関に仰向けになった。

その次の日も同様の症状(ちょっと酷くなっていたかも)だったが、
仕事が溜まっていた為、その日は一日、何とか気合いで乗り切った。

12月26日。
朝、左下肢全体がナイフで引き裂かれるような痛みで目が覚める。

目が覚めたは良いものの、起き上がることもできない。
トイレも何とか這って行く有り様だ。

食事も寝たまま布団ですました。

この日はもちろん仕事に行くことができず、一日安静に過ごした。

夜、寝ようとしても痛みで寝ることができない。
仰向け、横向き、うつ伏せ。
全ての姿勢を試してみるも、痛みがない体勢が無かった。

この日は夜中、寝ては起き、寝ては起きを繰り返し、朝を迎えた。

そして、明けた次の日・・・