第29回 櫻詠会 | Kazuma徒然の記

Kazuma徒然の記

お能の事、日々つれづれに思う事などを書き綴っていきます…。

自主公演の櫻詠会もはや29回となりました。

櫻詠会の前に「KAZUMA乃会」というのを3回開催していまして、事情があって一度中断し、あらためて再開するときに名称を例会風に改めました。私はいわゆる家の子ではありませんので、積極的に内弟子というものを取ろうと思ったことはないのですが、巡り合わせで面倒を見ることになりました。弟子を育てるということはどんなことなのか、ということを私なりに常に考えていましたが、自分の経験から思うのは、最も大事なことは舞台に立たせる、ということだと思っています。謡やら舞の稽古など当たり前のことで、シテとしてお客様のいる舞台に立つこと、これが最も能楽師として成長するための糧となります。そしてこれが実は最もたいへんなことでもあるのです。家の子であれば父・祖父等が師匠であり、面倒も見てくれるでしょうが、そういう地盤のない者は、若年では自分で公演を企画するなどほとんど不可能な事です。私の20代の頃は師匠の櫻間金太郎先生が「櫻間会研修能」という公演を作ってくださり、その舞台に立つことができました。たいへん勉強もさせて頂き、感謝しております。それを思うだに師としての責任というものもそこにあるのではないか、と常に思っております。先にも言った通り私は家の子でもないので、そういう面倒なことはできれば避けて通りたいのですが、金春流という流儀はたいへん小さな流儀で、家の子という者も少なく、外から志望して入ってくる者を拒んでは流儀としての将来も見えなくなってしまいかねません。今、私の元に20代の者が二人いまして、私自身できる限りのことはしようと思っております。まだまだ能楽界は家というものが大きく覆い被さっております。それはそれで良い点もあるのですが、外から入ってくる者に対してもっと評価し、陽の目をちゃんと見られるようにしていかないと、能楽そのものの未来も失われてしまうのではないか、と思っております。私自身はなはだ非力ではありますが、少しは師匠に恩返しできればと思ってやっております。個人の名前だった公演を「櫻詠会」としましたのは、いつでも金春流を志す者の母屋のようになれれば、という思いがあったからです。