作者:観世小次郎信光
分類:切能(5番目物)
前シテ:静御前 後シテ:平知盛の霊 子方:源義経
ワキ:武蔵坊弁慶 ワキツレ:従者 間狂言:大物の浦の漁師
作り物:後段で漁師が船(かなり省略されている)を持って出る。
所:大物の浦(兵庫県) 時:旧11月
概略 : 平家追討に大功のあった義経だが、兄・頼朝にあらぬ詮議をかけられ、鎌倉へも入れず、しばらくの間四国にて難を逃れようと主従わずか十数人で都を落ち延び、摂津の国・大物の浦にたどりつく。
この時、弁慶は義経に「かかる事態に女人を連れて行くのは憚りがある、静御前は都にお返しあれ」と進言する。義経も最初は躊躇するが、弁慶の意を入れ、弁慶に静にそう申し付けるよう命ずる。弁慶は静の宿へ行き、義経の言葉を伝えるが、静は納得せず、直接義経と話がしたいと義経の元を訪れる。
しかし、弁慶の言葉に偽りはなく、義経は静に都へ戻るよう諭す。
義経は別れの宴をひらき、静に酒を勧め、静は別れの舞を舞い、泣く泣く都に帰っていく。
静は義経との別れに涙する。
静を都に返したが、義経は天候がよくないと船出を延ばそうとするが、弁慶は叱咤激励し、船頭を呼び船を出す。「船弁慶」ではここが特別な間狂言の型となる。通常の間の語りではなく、船頭(漁師)の役として実際に船を漕ぐ様を表現する。
海に漕ぎ出して程もなく、海は荒れ、黒雲がわき起こり、平家方の怨霊が波間より現われる。なかでも平知盛の霊は波を蹴立て、悪風を吹きかけながら義経一行に襲いかかる。義経も太刀を抜いて知盛に立ち向かい、弁慶の必死の祈祷にやがて知盛の怨霊も祈り伏せられ、海の波間へと消え去っていく。
義経の下回りを囲む白い輪が船の作り物
前シテと後シテがまったく関連性が無い曲である。二人の別人格を演じ分けるのもこの曲のポイントでもある。ストーリーの展開も劇的で分かりやすく、人気曲のひとつである。
長刀を使う曲は以外に少なく、他に「巴」「熊坂」「正尊」「橋弁慶」「碇潜」などがある。また金春流では長刀を肩に掛け、くつろぐ時に長刀の刃を内側、つまり自分の首に向ける。他流は外向きである。昔これを見た方が、自分の首を切ってしまうではないか、と言ったそうだが、これは他の者を傷つけないための配慮と、聞いている。また当流では長刀を石突き(長刀の刃と逆の先端)いっぱいに持つため、最も長刀が長い状態での型となり、長刀を振るう型が迫力を増したものとなる。
能では源義経は、子方(子役)が演じることが多い。おそらく当時から義経の人気は世間一般に絶大であり、その存在感が大きいため、あえて子方を使う事により、シテの存在感とのバランスをとったのではないかと考えられている。
画像:山中一馬