はじめまして、いつもBLOGやyoutubeの更新を
心待ちにしています。自分はS54名古屋生まれ、
1999年に上京した折には東京の不良ブームも
若干落ち着きを見せていた印象ですが、
出会い系サクラバイトの上司が
たまたま宮前ヤス⚫︎ヨ柴⚫︎コンビだったり、
身内的に仲良くなった新宿地元の2個上世代が
ブットバ繋がりでTOP-JのT氏と
懇意の間柄だったりで、
色々その手の噂話は耳にしていました。
ずっと高円寺界隈在住なので、
リ○ン氏世代の友人たちから
「家が中野寄りだったから
ジャックス周りとも仲良くやってたら、
それまで良好な関係だった○井軍団に
拉致られて散々な目にあった」
なんて話も聞かせて貰ったことがありましたね笑。
今回の記事、ド左翼の自分
(不良の方は心情的に右寄りが多いと
思うので申し訳ないですが)にとっては
渋谷暴動の話を石元氏が
取り上げているだけでも胸アツであります。
この勢いで質問、
一ファンの興味本位で申し訳ないのですが、
石元さんが現役の時代に
いわゆる強敵との相対=若干ピンチ、
「正直あれはちょっと危かったかも」
なんて体験はありましたか?
いずれ書籍にする予定の秘蔵エピソードも
多々あるかと思いますが、
まだ世に出てないやつを
お答えできる範囲で
教えて頂ければと思います!
今後とも応援しております!
ゴチャマンサバイバー
→初めまして![]()
コメントを返すのが
遅くなってしまい申し訳ないです。
今思い返すと現役時代、
危なかったというよりは
毎日しんどかったなと
感じる出来事は一つだけありますね。
それは「不良録DEEP」にも記した
山谷連合と東京連合との
抗争ですかね。
あの時は毎日朝まで武装して
索敵に励んでいましたからね、
撒き餌に成功して
相手グループのメンバーを
捕獲するまでは。
本当に毎日根気のいる活動でした。
あ、そういえばこれも
「不良録DEEP」に書いたことですが、
国立で起こした乱闘事件の帰りに
多くのパトカーから追われた時も
なかなかしんどい出来事でしたねー。
あれほどの台数のパトカーに
追われることも
あまりないことですから(苦笑)。
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だが、話はここで終わらない。
その直後、
「大規模な乱闘事件が起きている」
という通報を受けた警察が
大勢駆け付けてきた。
「全員バイクに乗れ!
まずはOBから逃すぞ!」
その号分と共に、俺たちは
バイクにまたがり、横一列になって
パトカーが前に出られないよう
その進路を塞いだ。
OBが乗車した車の
テールランプが見えなくなると、
今度は自分たちが逃げる番だ。
例え信号があってもスムーズに
進行出来るよう先を走る部隊と、
パトカーの進路を塞ぎ続ける部隊と、
それぞれが瞬時に
うまく役割を演じながら、
警察との追いかけっこを続けた。
そういったところも、
関東連合のメンバーは
慣れたものだった。
ただ、その日は普段と少し
勝手が違っていた。
メンバー全員が国立にまったく土地勘が
なかったというのと、
大きな通りを曲がる度に両車線に
パトカーや覆面パトカーが待機していて、
時間が経つにつれ追尾してくる
パトカーの数も6台、7台と増え続け、
国立の警察の本気度というものを
ひしひしと感じた。
「どうする!?」
「さすがに原付じゃ持久戦は不利だろ!
ガソリンが持たない人間も
出てくるんじゃないか!」
「大通りは避けて、
狭い道に入って撒ける場所を探そう!」
スクーターを運転しながら
大声で会話をした後、
俺たちは住宅街のほうへと
ハンドルを切った。
その判断が見事に功を奏した。
偶然車が通り抜けることが
出来ないような狭い道があったからだ。
そうして俺たちは無事に
地元へと帰ることが出来た。
抜粋:「不良録DEEP」(大洋図書)
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カエルになったギニューの
その後が気になりますw
まー
→自分もとても気になっています。
夜も眠れないくらい(笑)。






