引きこもり主婦にとって
ネットの中も現実世界と
変わらない。
ネットの中で助かるところは
言葉を時間をかけて推敲することが
できること、です。
久しぶりに現実の人と会話しました、
クリーニング店の受付のお姉さんと。
距離感を保った会話が
できなくなっているのを実感。
これは加齢のせいもあるかも?
自分の馴れ馴れしさにうんざり、
店員さんが不快な顔をされてなかったのが救い。
制御できないままだと
どうなっていくんだろうか?
🔸🔸🔸
なんてことない生活を送ってきただけ、なのに
理解できるようになることも
あるもんなんだなーと思う。
完全に馬齢を重ねているけど
それに悩みだすと生きていけない。
壊れたりやめたり消えたり無くなったり別れたり。
そんなことを繰り返して
自然に「無常」を理解できてしまってた。
アラサー、アラフォーときて
アラフィフまでくると明らかに今までとは違う、
容姿も、身体からのメッセージも変わった、
けど、このキター--!みたいな変化が
ちょっと面白いなーと思う。
お酒をやめることっていうのは
とりあえず
飲まない1日を延ばしていく感覚でいる方が
続きやすいと知りました。
永遠に?と先を見ると
長すぎてクラクラくる、
そこまでする理由は?と疑問を感じはじめる。
だから先を見ずに積み重ねた過去の方を
見ろとのこと。
お酒をやめることに限らず、
1日を重ねる延ばすという感覚は
他の場合にでも応用できるなと。
昨年末、最果タヒさんのエッセイ本を中古で購入、
新品同様で帯付き、でした。
帯文は保坂和志さんという方が書かれていて、
最果さんは、種(群れ・集団)の
不協和音だ、
孤立した個だ、
でもそれに救われる孤独な
個がいる。
エッセイを読むと私の中にもそれがあると、
みんなが思うはずだ。
先日図書館でその保坂さんの
エッセイ本を見つけて借りました、
『途方に暮れて、人生論』
これがまた自分の感覚に
しっくりきそうな本で、
第1章は、 「生きにくさ」という幸福
昨年末からぐぐっとくる作家さんとの出会いが
続いています、
私は様々なカルチャー、芸術、人に支えられてるなあ、
ほんとに。
優しさとか寄り添い方とか色んなカタチがあって、
人それぞれ求めているものは違うのだ。
各々の寂しさを持ち寄って
集まってるだけでいいような気もする。